横浜港のレジェンドたちも“ボォォ~!” 「ロイヤルウイング」最終運航 瀬戸内から続く63年の歴史に幕
大きな舵輪やエンジンテレグラフは最後まで現役のまま
その後、太平洋フェリー子会社の横浜ベイクルーズを経て、2000年に吉本興業傘下で「株式会社ロイヤルウイング」が発足。より本格的な中華バイキングの提供や、乗組員によるバルーンアートなどのパフォーマンスを行うようになりました。
竣工時に搭載された、巡行速力18ノット(約33.3km/h)という快速を実現したメインエンジンや大きい舵輪が付いた操舵スタンド、そして船の前後進やエンジンの回転数などをブリッジから機関室へ指示するエンジンテレグラフなどは今でも現役で、たとえるなら63年間の運航を最初から最後まで支えてきた「影の立役者」と言えるでしょう。
なお、この「くれない丸」は、「氷川丸」や先代の「日本丸」と活躍時期が重なっており、いずれも神戸港に入港していたことから、同じタイミングで神戸港内に揃った可能性もあります。そのような縁もあり、60年の時を経て、ファイナルクルーズでの汽笛によるエール交換へと繋がりました。
また、関西汽船の航路を引き継いだ「フェリーさんふらわあ」が2023年1月に「くれない」の名を継いで、大阪~別府航路に日本初のLNG(液化天然ガス)燃料フェリー「さんふらわあ くれない」(1万7114総トン)を就航させています。同社は先代「くれない丸」である「ロイヤルウイング」が引退するのに伴いコラボ企画を行っており、ファイナルクルーズでは、後継船と言える「さんふらわあ くれない」からのメッセージも船内に展示されていました。
このように「くれない丸」時代から多くの人に愛されていた「ロイヤルウイング」でしたが、船体の老朽化や運航に必要な部品の入手などが難しくなり、運航を取りやめることになりました。その役割は計画されている代替新造船へと引き継がれる予定です。
こうして「ロイヤルウイング」は、夜の横浜港に響く汽笛とともに、客船としての運航を終えました。
【了】
Writer: 深水千翔(海事ライター)
1988年生まれ。大学卒業後、防衛専門紙を経て日本海事新聞社の記者として造船所や舶用メーカー、防衛関連の取材を担当。現在はフリーランスの記者として活動中。
とうとうこの日が来てしまいましたね。63年もの長い間お疲れ様でした。くれない丸からロイヤルウィングに成って今日まで見守って来ました。
ロイヤルウィングのニュースを目にするたびに楽しかった若かりし頃を思い出し懐かしんでおりました。船名、船色は変わっても船体を見れば判る人は判るはずです。これから先どうなるんでしょうか?少なからず関わりを持った者としては気がかりです。