本当に必要だった!?「静岡空港」ができたワケ ずっと赤字でもポテンシャル高? “惜しい”要素も
地方空港の建設が相次いだ時代を経て、そのあり方が問われた頃に供用開始されたのが静岡空港です。オープン後の同空港は、運営も決して順調と言えませんでした。しばしば注目は集めるものの、存続には課題もあります。
2009年6月4日開港
静岡県牧之原市にある静岡空港(富士山静岡空港)は2024年に開港15年を迎えます。1987年12月に建設予定地が決まり、2009年6月4日に1番機が飛び立つまでの間は、地方空港の建設ラッシュを経て、そのあり方が問われた頃にあたります。空港運営も決して順調と言えませんでした。
静岡県は新幹線と高速道路が古くから開通しており、東京と名古屋、そして大阪へ地上のアクセスは充実しています。ただ、遠隔地や海外へ行くには、羽田空港や中部空港を経なければならず、空の便は充実していませんでした。そのため、次々に地方空港が全国にできる時勢の中、静岡県内では建設の機運が高まったのです。
開港して数か月後に筆者は、静岡空港へ見学に行ったことがあります。地方空港でよく見る、さほど大きくない旅客ターミナルビルにぎっしりと見物客が訪れ、FDA(フジドリームエアラインズ)やANA(全日空)、そしてJAL(日本航空)の小型旅客機が出入りする姿を珍しそうに眺めていました。
しかし、開港後の空港運営は決して順風でありませんでした。
こんなものがあるせいで、リニア新幹線の駆け引きに使われて静岡県民以外の日本経済にも損害が出ている。県民以外にも迷惑な存在。