住宅街にトラス鉄橋? メトロ東西線「私鉄最長の鉄橋」がヘンテコな理由は「海の上の地下鉄」だった

かつての姿はまるで「モーゼの十戒」?

 橋梁は一般的に、無駄な建設コストをかけないよう、河川の堤防と堤防の間に最低限渡すのが常識です。しかしこの荒川中川橋梁には、両岸のそれぞれ数百メートルほど内陸側に、「のりしろ」のように、りっぱなトラス橋梁がずっと続いています。

 一見無駄に見える「内陸部の橋梁部分」ですが、実は東岸と西岸、それぞれにやむを得ない事情があります。

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橋のかなり手前、住宅地エリアからトラス鉄橋となっている東西線(筆者撮影)。

 まず東詰めについては、かつての「海の名残り」だったせいです。開業後10年ほど、東西線は東京湾の上を走っていました。都心方面から橋を渡る瞬間、車窓から覗くと大きな堤防が見え、そこから鉄橋の真下は海原が広がっていました。

 1970年代半ば頃に江戸川区南部の通称「葛西浦」は埋め立てられ、今ではすっかり陸地を走る高架線にしか見えませんが、トラス橋の真下には今でも「旧葛西海岸堤防」の一部が史跡として残されており、その昔「モーゼの十戒」のように、海の上を電車が走っていたことを伺わせています。

 西詰のほうは建設当時、すぐそばに工業用水給水用の巨大な水槽があり、近くに橋脚を打ち込めなかったことや、そもそも周辺が軟弱地盤だったという事情があります。

 荒川・中川河口周辺の地盤は沖積層が分厚く堆積する「極めて地盤の悪い場所」で、実際川底から7~8mは砂礫層、そしてその下には超軟弱の粘土質シルト層となっており、橋脚を安定させるためには基礎を最大72mの深さまで打ち込まなければならず、当時世界的な施工記録だったのです。

 工事費が莫大になるため、橋脚の本数をなるべく減らしたいとの思惑から、橋桁のスパン(長さ)を長くできるトラス橋が、堤防の反対側でも採用されたわけです。

【写真】えっ…!これが開業当時の「海の上を走る地下鉄東西線」です

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