儲かる?何のため?「青春18きっぷ」の忘れられた経営価値 このままでいいの?

安価にJR線の普通列車が乗り放題になる「青春18きっぷ」は高い人気を誇ります。JRとしては儲かるものでは決してないはず。では、どのような目的で登場したのか――それを考えると、筆者は先行きに不安を覚えるといいます。

余る輸送力を埋めろ! 若い女性を鉄道に乗せろ!

 青春18きっぷは1982年、「青春18のびのびきっぷ」という名称で誕生しました。「えっ? のびのび!?」と鉄道ファンの間ではどよめきが起きたものでした。

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四国の下灘駅。青春18きっぷのポスターでも有名(画像:写真AC)。

 当時は、普通列車に乗り放題となる5日分のきっぷが8000円という破格の安さ。その誕生の背景は、当時の「国鉄離れ」をなんとか食い止めるため、若者を鉄道に乗せようとするキャンペーンだったのです。実はその考えの元になった、もっと凄い、とんでもないキャンペーンがあったのでした

 青春18きっぷが誕生する12年前、1970年に大阪万国博覧会が開催されました。これはとんでもない規模で、当時1億人だった日本の人口の6割にあたる6422万人もの入場があり、会場へ向かう人波は「民族大移動」と呼ばれたほどでした。このため国鉄も輸送力を大増強し、12両編成だった東海道新幹線は16両編成になり、12系客車も大量製造されました。

 この輸送は大成功だったのですが、問題が起きました。大阪万博が終了すると、増強した輸送力が余ってしまう!--

 そこで取られた策が「ディスカバージャパン」です。これは後にも長く広告業界で語り継がれた空前絶後の大キャンペーンで、キャッチコピーは川端康成、テーマソングは永 六輔、最新のファッションを纏った若い女性グループが鉄道旅をするテレビCMが流され、雑誌anan 、non-noに触発されたアンノン族と呼ばれる女性旅行者が増えました。駅スタンプも全国で展開され、時刻表には駅弁も紹介されました。

 特に大事だったのが急行列車乗り放題の「ミニ周遊券」で、若者が気軽に、気ままに乗り放題のきっぷを使って鉄道旅行をするようになります。ここから「ワイド周遊券」も売れるようになり、夜行の座席急行や夏の北海道には周遊券で鉄道旅行をする若者が多くいました。

 これをきっかけに国内旅行ブームが起き、お酒や自動車タイヤのテレビCMも旅をモチーフにしたものが作られ、少年が全国を旅する漫画も大ヒットし、日本の文化も変わりました。それまでは団体旅行の習慣しかなかった日本人が、国内を個人旅行するスタイルがここで造られたのです。

「どこでもドアを手に入れた位の衝撃」青春18きっぷ“初体験”の思い出 517人の声(画像)

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