「135年間ありがとう」 途方もない歴史を持つ交通機関なぜ廃止? 「できることはやってきた」それは“瀬戸内の風景”の異変

手漕ぎ船の時代から続けてきた渡し船

 向島・小歌島と本土側の土堂を結ぶ「福本渡船」は、そんな尾道の海上交通を担ってきた代表的な渡船業者の一つです。『備後向島岩子島史』(菅原守・編纂、1938年発行)によると、創業者の福本光藏(みつぞう)さんは、1893(明治26)年の「烏崎渡し」(西富浜-東御所)を皮切りに「渡し船」の営業許可を得て運航を開始しました。

 電話取材に応じてくださった同社の福本雅子社長によると、創業当時の「渡し船」の姿は、木造船の艫で櫓を漕いで運航する「手漕船」で、そこから時代を追って「焼玉」、「ディーゼル」と動力機関が発展していったそうです。「焼玉」とは今や懐かしい「ぽんぽん船」のエンジンです。

「福本渡船」では、戦後に自動車運搬の営業免許を取得し、現在まで続く輸送形態を確立しました。昭和30年代の資料には、「第二」「第三」「第八」の3隻の「小浦丸」を投入し、旅客に加え、大型トラックや当時多かった三輪車も積載し、朝5時から23時まで1日合計140往復を運航した記録が見られます。

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福本渡船の本土側・土堂の桟橋(山本佳典撮影)。

 また、「福本渡船」といえば、尾道渡船業界で最安の料金体系で知られています。同じ昭和30年代の資料には「公営渡船の料金の約3割引」との注記が見られます。同社が運航する航路は向島と本土側の駅近くを結ぶ利便性の高いものですが、同時に「駅前渡船」(尾道駅前-富浜)との交差航路でもあります。

「福本渡船」は現在も約10分間隔での運航です。多頻度で割安な渡船サービスを提供するため、運航面の困難さを克服しながら航路を守り続けてきたものだといいます。

【これが尾道の日常!】橋があってもみんな「渡し船」な風景(写真)

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