発端は「堤vs五島」!? 西武新宿線だけ地下鉄直通しないワケ “60年の悲願”都心乗り入れは実現するのか
関東大手私鉄の「本線格」の路線で唯一、地下鉄と直通していないのが、西武新宿線です。地下鉄で池袋線と新宿線をつなぐなど都心乗り入れ構想は以前から存在しますが、実現に至らない様々な事情がありました。
「本線格」なのに地下鉄直通なしの西武新宿線
2023年3月に相鉄新横浜線が開業し、関東大手私鉄の全社で地下鉄との相互直通運転が実現しました。これら直通する私鉄路線は、京王電鉄京王線、小田急電鉄小田原線など各社の「本線」ですが、唯一、地下鉄と直通しない「本線格」の路線が西武鉄道の新宿線です。
歴史を振り返れば、新宿線にも直通構想がなかったわけではありません。西武鉄道元常務取締役の故・長谷部和夫氏は2014年の鉄道趣味誌『レイル』92号で、西武と地下鉄の複雑な関係について語っています。
東京の私鉄にとって、山手線内への乗り入れは長年の悲願でした。ところが1938(昭和13)年に成立した陸上交通事業調整法は、山手線内の地上は東京市電気局(市電、市バス)、地下は帝都高速度交通営団が担当する「交通調整」を実施し、私鉄の都心乗り入れは閉ざされました。
戦後、戦時下に成立した営団体制の揺らぎを突いた各社は独自の都心乗り入れ線を出願し、都心の鉄道整備計画は混乱に陥りますが、1956(昭和31)年の「都市交通審議会答申第1号」で、営団体制を存続させた上で、地下鉄と私鉄を相互直通運転させる方針が提示されました。
そんな中、都心乗り入れ線を申請しなかった唯一の私鉄が西武です。その理由について長谷部氏は、西武グループの創始者である堤康次郎にとって、交通調整を主導した東急グループ創始者の五島慶太は「宿敵」だったからと述べています。都心乗り入れを希望することは交通調整の是認であり、「五島の軍門にくだることを意味し、堤としては耐えられない」というのです。
しかし新宿線と並行する国鉄中央線と地下鉄5号線(東西線)の直通運転が決定すると、さすがの堤も焦りを覚え、新宿線の下落合から高田馬場経由で地下鉄への直通運転を要望しますが、今さらの提案は認められるはずもなく、西武は地下鉄乗り入れ戦線から取り残されてしまいます。
1962(昭和37)年の「都市交通審議会答申第6号」では私鉄の既設線の中間に地下鉄5路線が追加されますが、経営に与える影響が甚大であると各社が主張した結果、1965(昭和40)年の「建設省告示第1454号」で都心のターミナル付近から直通運転を行う計画に改められました。
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