その日、長崎を目指した救援列車

ホームで待っていた諫早の人たち

 救援列車が到着した諫早駅の様子について、同じ証言資料では次のように述べられています。

「諫早の人たちは被災者を助けようとして皆ホームに出て待っていました。諫早について被災者を降ろそうとしましたが、全然降りてきませんでした(中略)もう半分以上が列車で亡くなっていました。」

 この日、状況が状況のため詳細が不明な点も多いのですが、救援列車は第1号の311列車を含めて4本運転され、およそ3,500人の負傷者が海軍病院のあった諫早や大村へ運ばれたとされています。2本目の救援列車で機関士として乗務した山中繁良さんは2012年、「負傷者ばかりの状況を見て、使命感で動いていた」と語りました。異常事態を知った鉄道員たち、そして諫早など近隣の人々の使命感によって、救援列車は走りました。

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賑わう現在の長崎駅。2022年度(予定)には、長崎新幹線もやってくる。看板のイラストは長崎市育ちの蛭子能収氏によるもの。

 69年前の8月9日に救援列車がたどり着いた長崎市の照圓寺にある門柱には、その列車についての説明板が設置され、いまに歴史を伝えています。

【了】

Writer: 恵 知仁(鉄道ライター)

鉄道を中心に、飛行機や船といった「乗りもの」全般やその旅について、取材や記事制作、写真撮影、書籍執筆などを手がける。日本の鉄道はJR線、私鉄線ともすべて乗車済み(完乗)。2級小型船舶免許所持。鉄道ライター/乗りものライター。

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