日露戦争「騎兵の兵力確保全ッ然間に合わねぇ!」どう乗り切った? 日本はほぼ「馬の形をした猛獣」ばかりで開戦へ
今から約120年前に行われた日露戦争では、これまでの戦争では比較にならない規模で地上戦が行われましたが、このとき日本陸軍は騎兵の育成の途上でした。不安要素しかない状態でどう戦闘を乗り切ったのでしょうか。
江戸時代に軍馬の育成が止まってしまった日本
日露戦争の戦いといえば、日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に圧倒的な勝利をしロシアに講和のきっかけを与えた「日本海海戦」が有名ですが、陸上で同海戦と同じく戦局に大きな影響を与えた戦いがありました。今から120年前の1905年2月21日から3月10日まで行われた「奉天会戦」です。
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日露戦争は当時としては、史上類をみない規模で地上戦が行われましたが、このとき日本陸軍は大きな不安要素を抱えていました。騎兵の問題です。
有史の以前から人類のパートナーであり、乗り物でもあった馬――。戦争でも馬は長いあいだ使用されてきました。むしろ、いまのように戦力の中核として使われていない時期の方が圧倒的に短いです。もちろん日本でも馬はふるくから戦闘に使われていましたが、江戸時代に入り大きな戦闘がなかった影響で、軍馬や騎兵の研究が止まっていました。
最初に近代的な騎兵の馬として運用されるタイプの馬が、日本に入ってきたのは幕末だといわれています。江戸幕府はフランス陸軍を参考としていたため、軍事指導に当たっていたフランスからアラブ種の馬が寄贈されたのです。
当時の幕府陸軍には騎兵隊も編成されていましたが、こうしたフランス輸入の軍馬がどの程度いたかは知られていません。贈られた馬の明確な記録としては、当時のフランス皇帝ナポレオン三世が、14代将軍徳川家茂宛に送ったアラブ馬の記録などが残る程度で、日本国内の軍馬改良に、それほど大きな影響はなかったのではと思われます。
そして日本が本格的に軍馬の生産に注目するようになったのは、明治に入ってからです。そのうち、騎兵用に使う乗馬は他国に比べかなり貧弱であるというのが、自国、他国ともに共通した評価でした。
近代騎兵の基本もわかっていなかった日本は当初、牡馬を去勢しないで使っていました。欧州では気性が大人しくなるので去勢した馬、「せん馬」を長く利用してきましたが、日本にはそもそも軍用馬を去勢する習慣がなかったのです。
この暴れ馬ばかりの惨状を見た明治初期に日本へ来た欧州の駐在武官は、「日本人は馬の形をした猛獣に乗っている」と評しました。
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