日露戦争「騎兵の兵力確保全ッ然間に合わねぇ!」どう乗り切った? 日本はほぼ「馬の形をした猛獣」ばかりで開戦へ

今から約120年前に行われた日露戦争では、これまでの戦争では比較にならない規模で地上戦が行われましたが、このとき日本陸軍は騎兵の育成の途上でした。不安要素しかない状態でどう戦闘を乗り切ったのでしょうか。

発展途上の騎兵を機関銃で強化?

 騎兵のための将兵の育成が進むと共に、軍馬の管理も検討されるようになります。しかし、優秀な血統は種牡馬として残し、軍馬として使うせん馬とは明確にわける「馬匹去勢法」が成立したのは、なんと、明治末期の1901年からでした。日露戦争開戦は1904年2月。つまり騎兵用の馬の改良もままならない状況で、戦争に突入してしまったのです。

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日露戦争で使われた保式機関銃。フランス製のホチキスMle1897機関銃を日本でライセンス生産したもの(画像:Gary Todd from Xinzheng<CC0>)

 ただ、この戦争では某小説でも有名な秋山好古少将が率いる騎兵第1旅団を主体とした秋山支隊が沙河や黒溝台の会戦で、敵のコサック騎兵などを撃退する活躍をします。

 この戦争の約100年前のナポレオン戦争では、フランス軍の補給路を遮断し、同軍敗北の原因を作ったコサック騎兵は、機動力や突破力という騎兵本来の能力としては人馬共に上でした。

 しかし、秋山支隊は騎兵の機動力は活かしつつも、騎兵だけの敵陣突破などはあまり行いませんでした。

 そのかわり、騎兵部隊に歩兵、砲兵、工兵などを随伴させ、それらの将兵と連携した行動を取ると共に、騎兵たちも馬から降り、当時まだ兵器としては実力未知数だった機関銃を運用。当時の騎兵として特異な運用法で、歩兵だけではなく、コサック騎兵も撃退しました。

【画像】運命の戦い! これが、日本海海戦挑むに連合艦隊です

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