日露戦争「騎兵の兵力確保全ッ然間に合わねぇ!」どう乗り切った? 日本はほぼ「馬の形をした猛獣」ばかりで開戦へ
今から約120年前に行われた日露戦争では、これまでの戦争では比較にならない規模で地上戦が行われましたが、このとき日本陸軍は騎兵の育成の途上でした。不安要素しかない状態でどう戦闘を乗り切ったのでしょうか。
奉天会戦でも重要な役割を果たした騎兵
日露戦争で最大の陸戦となった奉天会戦でも、第三軍の先鋒として、機動力は出しつつも、このときも機関銃が威力を発揮。敵勢力を排除しつつ、奉天市街の西へ迂回することでロシア軍撤退の原因を作り出すことになります。
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このように日露戦争中は貧弱だったはずの騎兵が一定の評価を得ることになりましたが、全てが順調という訳ではなく、同戦争中にも日本陸軍では軍馬の貧弱さが露見するような報告が次々とあがりました。この件に頭をいため、ついには明治天皇まで「馬匹改良のために一局を設けてはどうか」と勅諚をくだすほどでした。
結局、日露戦争中の1904年4月7日に「臨時馬政調委員会」が設立され、日露戦争後から日本は軍馬の改良を本格的に進めていくことになります。このときから乗馬用のアラブ種が海外から大量に輸入されることになりました。
ただ、日露戦争の後の1914年7月に勃発した第一次世界大戦により、騎兵の有効性に関しては、銃火器の発展や戦車の登場と共に薄れていきます。しかしあらゆるものを自動車化、機械化している現在とは違い、第二次世界大戦終結頃までは、限定的ではありましたが、騎兵の有効性も残っていました。
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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