“三菱車の歴史”そのもの!? かつてのド定番セダン「ギャラン」は何がスゴかったのか? 浮き沈みもスゴすぎた36年
近年、日本市場で人気を巻き返しつつある三菱自動車。その“質実剛健”で“機能美”のある独特なキャラクターを築いた名車のひとつが、1969年のデビューから36年間にわたって人気を集めた4ドアセダンの「ギャラン」でした。
読みづらい「記号付きモデル」で巻き返し!
名誉挽回を図るべく、ギャランは1976年に3代目へとチェンジ。4ドアセダンの「ギャランΣ(シグマ)」と、2ドアクーペの「ギャランΛ(ラムダ)」の2系統を軸にラインナップを展開しました。

ギリシャ語で「総和」「集大成」を意味する「Σ」のサブネームに、初代の「スポーティさ」と2代目の「落ち着いた雰囲気」の双方を込めたようにも感じるギャランΣ。新開発のアシストリンク付4リンクコイルサスペンションや安定感のあるワイドトレッド設計、シャープな反応のステアリングなど、高い走行性能をアピールした一方、6000回転で動かしたエンジンの上に水の入ったコップを置き、静粛性の高さを強調するパフォーマンスも行いました。
また「ハードトップでもない、クーペでもない」のキャッチコピーで登場したギャランΛは、ギャランGTOの後継という位置づけ。独創的で美しいスタイリングが人気となりました。また、1978年には新しい販売チャネル「カープラザ店」の発足に合わせ、姉妹車の「ギャランΣエテルナ」「ギャランΛエテルナ」が追加されました。
3代目ギャランは4ドアのΣを中心に見事大ヒットとなりましたが、キープコンセプトでモデルチェンジした4代目(1980年)や、Λを廃止して駆動方式を前輪駆動へと転換した5代目(1983年)は一転して苦戦。3代目以来のクリーンなデザインを持っていたものの、市場では埋没してしまい、存在感を充分に示せませんでした。
再びの逆転を目指し、「Σ」のサブネームが取れた6代目ギャランが1987年に登場します。本物志向のユーザーを意識した6代目は、トレンドと逆行した背高のフォルムや、緩いS字を描いたボディサイド、そして初代以来の鋭い“逆スラント”形状のフロントノーズを持ち、非常に強い個性と存在感を放っていました。この挑戦的な姿勢が評価を受け、三菱車で初となる「日本カー・オブ・ザ・イヤー」も獲得しました。
また、トップグレードには2リッター最強クラスの205ps(登場時)を発生する「4G63型」直列4気筒DOHCターボエンジンを搭載し、フルタイム4WDやABS、4輪操舵などのハイテク装備で武装した「VR-4」を新設定。WRC(世界ラリー選手権)では6度の優勝を経験するなど、大活躍しました。
しかし、バブルが崩壊した1990年代以降、ギャランは次第に勢いを失っていきました。1992年デビューの7代目は全車3ナンバー化でさらにサイズアップしたものの、スポーティさは再び薄れ、人気は低迷しました。
1996年にフルモデルチェンジした8代目は、高出力と低燃費を両立させる“直噴式”ガソリンエンジン「GDI」を量産車として世界初搭載。再び日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し高評価を得ましたが、セダン市場の世界的縮小や、2000年に三菱自動車のリコール隠しが発覚した影響もあり、2005年に国内モデルの生産終了を終えました。
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ちなみに、2007年に発売した「ギャランフォルティス」は、「ランサー」の海外モデルに「ギャラン」の名を冠して日本で展開したモデルなので、9代目のギャランとは言い難いものがあります。
社運を賭けて開発され、主力モデルとして幾多の浮沈を繰り返してきた「ギャラン」の歴史は、そのまま「三菱自動車」の発展の歴史であるともいえるでしょう。
Writer: 松田義人(ライター・編集者)
1971年、東京都生まれ。編集プロダクション・deco代表。バイク、クルマ、ガジェット、保護犬猫、グルメなど幅広いジャンルで複数のWEBメディアに寄稿中。また、台湾に関する著書、連載複数あり。好きな乗りものはスタイリッシュ系よりも、どこかちょっと足りないような、おもちゃのようなチープ感のあるもの。
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