「本州最北端になるはずだった鉄道路線」なぜ幻に? 跡地に行ったら「あ、でも残り香あるわ」

大湊線の下北駅は「本州最北端の駅」として知られていますが、実は下北駅よりさらに北へ延び、下北半島の突端まで到達するはずだった幻の鉄道が存在しました。どういった経緯があったのでしょうか。

下北半島先端まで行く幻の鉄道

 本州最北端の駅として知られる大湊線の下北駅。終点は大湊駅ですが、経度的には下北駅が最北に位置しており、そのユニークさから鉄道ファンや観光客に人気があります。しかし、実は下北駅よりさらに北へ延び、下北半島の突端まで到達するはずだった幻の鉄道が存在しました。

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下風呂温泉にあるメモリアルロード。「大間線」の遺構として残ったアーチ橋を遊歩道として整備したもので、実際に開通した場合はこの場所を列車が走る予定だった(布留川 司撮影)。

 それが、マグロ漁業で有名な大間へ至る「大間線」です。

 1922年(大正11年)公布の改正鉄道敷設法には「青森県田名部ヨリ大畑ヲ経テ大間ニ至ル鉄道」と記され、2025年現在むつ市の一部となっている旧田名部町、大畑町を経て大間まで鉄道を敷設することが明記されました。これが「大間線」構想の始まりとされています。

 計画された路線は下北から大間まで49.7キロで、大畑以降は国道279号(むつはなますライン)とほぼ同じルートを通る予定でした。

 敷設が求められた最大の理由は、当時の交通事情の悪さです。大間町史には、当時の道路について「田名部から北へすぐの県道は県下の悪路として放置され、県道にあらず瞼道なりと酷評されていた」と記されており、冬には徒歩や馬ソリ以外に通行できない“陸の孤島”だったとされています。そのようなかで1916年(大正5年)に大湊線が開通すると、大間まで延伸を望む声が自然と高まっていきました。

 また「大間線」には住民の利便性だけでなく、軍事・交通インフラとしての役割も期待されました。津軽海峡に面した大間は軍事的要地で、大間崎砲台などの施設も建設されていたため、軍需輸送路としての意義が大きかったのです。さらに、大間から北海道への航路を設定し、鉄道と接続することで、青森~函館間の青函連絡船より短時間で東京から北海道へ移動できると期待されました。

【写真特集】これが「幻の本州最北鉄道路線」跡地の全貌です

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