「中国初の独自開発戦闘機」どんなもの? 「これでもか!」というほど時代に翻弄された機体の経緯とは
「中国初の独自開発戦闘機」とも称される「J-8」は、どういったモデルだったのでしょうか。その経緯を見ていきます。
あまり成功作といえなかった「J-8」転換点は?
それが、1989年6月4日に起きた天安門事件です。これにより、中国への武器輸出が中止されたのです。
中国への武器輸出契約が交わされた当時、CIA(アメリカ中央情報局)では武器輸出の効果と影響について詳細な分析が行われていました。そしてCIAでは以下のような結論に達しています。
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アメリカ製エンジンやアビオニクスを搭載したJ-8IIはソ連の爆撃機Tu-16バジャー、Tu-22バックファイヤー、スホーイSu-24フェンサーの侵攻に対処する能力を持つ。しかし、Su-27やMiG-29といったソ連の新型戦闘機と対抗するには十分な能力を持たない。
台湾のF-5E戦闘機はその性能により圧倒的に数で優勢な中国軍と対峙する能力があったが、この状況が変化する。台湾空軍が保持してきた質的な優位性に大きな影響を与えることになるが、台湾の独自開発戦闘機(F-CK-1)は中国と台湾の空軍力バランスを維持することに有効であると考えられる。中国とベトナムの間の軍事力バランスには大きな変化をもたらす可能性がある。
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このように結論付けられました。
J-8IIは西側の技術を導入してアップグレードすることはできませんでしたが、中国では独自に開発したレーダーを搭載して輸出も目指しました。しかし、旧ソ連のエンジンに由来するエンジン寿命の短さは欠点でした。エンジンのオーバーホール間隔は300時間。2回目の300時間を迎えるとエンジンは廃棄処分になり新品のエンジンと交換する必要がありました。
結局、J-8は120機、J-8IIは260機で生産を終了しています。中国の戦闘機としてはとても少ない生産数に終わったことはこの機種に対する中国空軍の評価が反映していると考えることができます。
ちなみに、そんなJ-8IIでしたが、2001年4月1日、南シナ海の上空で情報収集活動をしていたアメリカ海軍のEP-3電子戦機と空中衝突事故を起こし一躍有名になったこともあります。
Writer: 中島二郎(航空アナリスト)
各国の航空行政と航空産業を調査するフリーのアナリスト。
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