「中国初の独自開発戦闘機」どんなもの? 「これでもか!」というほど時代に翻弄された機体の経緯とは
「中国初の独自開発戦闘機」とも称される「J-8」は、どういったモデルだったのでしょうか。その経緯を見ていきます。
エンジンを2発に
1960年代から1970年代にかけて中国と旧ソ連の間は緊張状態が続き、両陣営の軍が国境沿いに集結して睨みあう状態が続いていました。そのようななか生み出されたのは、一部メディアでは「中国初の独自開発戦闘機」とも紹介されている「J-8」です。どういったモデルだったのでしょうか。

J-8シリーズが配備される前、当時の中国空軍の主力戦闘機はミグ15を国産化したJ-5、ミグ17を国産化したJ-6、そして導入したばかりのミグ21(同J-7)でした。どれも航続距離が短く、搭載兵器も限られていた昼間戦闘機でした。そのため、ソ連の爆撃機が夜間に低空で侵攻して来るとそれに対処する能力がないことが問題でした。中国空軍の指導者たちはこの問題を解決する方法を模索していたのです。
最新鋭戦闘機J-7はすばらしい飛行性能を持つ戦闘機ではあったものの、航続距離が短く、搭載能力が限られていました。レーダーを搭載する十分なスペースもありませんでした。
そこで考えられたのが機体をそのまま拡大して同じエンジンを2基搭載した戦闘機を開発することでした。そうして1969年に初飛行したのがJ-8でした。そのため、一見するとJ-7/ミグ21をそのまま長くしたような形態をしています。
しかし、これにより航続距離だけは長くなりましたが全天候能力は限定的であったことから、J-8は中国空軍の他の機種のように本格的な大量生産は行われませんでした。そして、1980年代に入るとJ-8をベースに西側のエンジンと電子機器を導入して本格的な全天候戦闘機とする計画が始まります。
エンジンとレーダーなどの調達はアメリカと協議することに。それと並行してJ-8に大型レーダーを搭載するための改造が行われました。空気取り入れ口は機首から胴体側面に移動し機首にはレーダーを収容するスペースが確保されました。完成した機体の形状はソ連空軍の全天候戦闘機スホーイSu-15「フラゴン」を彷彿させる形状に変貌しました。
こうして1984年、この機体は「J-8II」として初飛行しました。機体の開発と同時にエンジンやレーダーの選定が模索されました。エンジン候補として中国側が希望していたのは当時の最新型エンジンだったゼネラルエレクトリックF404とされていますが、もう一つの候補として検討されていたのはプラット・アンド・ホイットニーがF100エンジンを小型化してイスラエル空軍のF-4戦闘機エンジン換装のために開発していたP&W1120でした。
レーダーはF-16が搭載していたAN/APG-66、それに火器管制装置、ヘッドアップディスプレイ、パルスドップラーレーダーなどを含めた総額5億ドルの契約が1986年に米中間で締結されました。
これにより、1990年代にはアメリカ製エンジンとアビオニクスを搭載して全天候能力を備えたJ-8IIが登場する予定でした。ところが、この計画を大きく揺るがす大事件が北京で起きてしまいます。
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