フェリーで日本唯一の「24時間運航」41年の歴史に幕! しかし「24時間待機」は継続中!? 一体なぜなのか

約41年間続けた「日本唯一」の24時間運航を終了した鹿児島のフェリー。しかし、運航を休止する深夜帯でも、スタッフは船に常駐しています。そこには単なる交通機関を越えた“使命”がありました。

最終便運行後のフェリーに実は人影が!

 24時間運航を終えた桜島フェリーのダイヤで、筆者が気になったのは桜島港の始発が鹿児島港より早く、最終は鹿児島港から桜島港へ向かう便だという点です。これには明確な理由がありました。

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桜島の噴火から身を守るためにヘルメットをかぶって登下校する小学生のイメージ(桜島ビジターセンターで大塚圭一郎撮影)

 桜島フェリーは、鹿児島市中心部への陸上アクセスが劣る桜島地区の住民の緊急事態対応の役割を担っています。最終便の運航後に1隻が桜島港に停泊し、船内には船長ら乗員7人が待機しているのです。

 何もなければそのまま鹿児島港行きの始発を担当しますが、もしも救急車による病院への急病人搬送といった救急事態が起きた場合には臨時で出動して鹿児島港へ向かいます。救急事態に備えて電話受付の1人、桜島、鹿児島両港の機械を操作するための各1人も待機しているため、計10人が日々スタンバイしていることになります。

 桜島が大規模噴火を起こした場合、フェリーは桜島地区の住民の避難手段にもなります。桜島は1914(大正3)年、58人の死者・行方不明者を出す大噴火がありました。

 そこで、桜島地区の旧・西桜島村は1934年に桜島フェリーのルーツとなる船舶事業に乗り出します。鹿児島市によると「村民の生活・通学航路として集落の船14隻を買収し、村営の船舶事業として統一ある運航を開始した」とのことです。1944年には自動車運搬も開始しました。

 西桜島村は桜島町となった後、2004年には鹿児島市と合併し、鹿児島市船舶事業が運航を担いました。

 桜島ビジターセンターには、桜島の小学生が噴火から身を守るためにヘルメットをかぶって登下校していることが紹介されていました。噴火や救急事態に備えた“臨戦態勢”は桜島の周辺に浸透しており、24時間運航の歴史に幕を閉じてもなお「24時間待機」を継続している桜島フェリーも決して例外ではないことを強く認識しました。

【15分で食え!?】これが桜島フェリー名物“絶滅危惧のうどん”です(写真)

Writer:

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。

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