75年目の真珠湾、邦人は少なく 「勝ち戦」の視点から見る太平洋戦争の「幕開け」

日本人の耳目には優しくない「勝ち戦の記憶」

 太平洋航空博物館において、航空機のレストアや日本語ガイドツアーを担当する、日系アメリカ人のカズさんは以下のように話します。

「まず日本の方々には真珠湾の各博物館が保有する零戦など、第二次大戦機や現代航空機、潜水艦や戦艦の展示を純粋に楽しんでほしいと思っております。その反面、ここには日本人の耳目にとって優しいとはいえない展示も多数あります。皆さんには75年前の12月にタイムスリップし、ここで始まった戦争とその経過、結末を目撃していただき、そして21世紀のワイキキに戻ってからは、この75年のあいだにどれほどまで日米間の平和が発展したのかということや、これから先の75年間に日米がともに手を携え進むべき道のりを、各々で感じてほしいと思います」

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実機の零戦二一型。空母「飛龍」から真珠湾へ発進するシーンを模擬している。真珠湾を襲った帝国海軍第一航空艦隊を「恐るべき空の無敵艦隊」と解説する(関 賢太郎撮影)。

 日本人とアメリカ人の血を引く「カズ(和)さん」の名は「平和」を意味します。彼の名が象徴するように、日米両国は今や最も友好的な二国間関係を築き上げました。しかしそれは「平和の大海」を意味する「太平洋」に「戦争」という対義語をつなげなくてはならなかった、過去の不幸を乗り越えたものでした。

 日本では「戦争の記憶」というと、各都市を焼き払った空襲や、広島、長崎の原子爆弾、そして1945(昭和20)年8月15日の終戦と「被害を受けた負け戦の記憶」ばかりが話題になりますが、この太平洋戦争を始めたきっかけである「被害を与えた勝ち戦の記憶」についてはほとんど触れられることがありません。ここ真珠湾の各博物館は、日本国内ではなかなか体験できない「アメリカの視点から見た太平洋戦争」に触れる絶好の機会に満ちあふれています。

 各展示には日本語の解説が多く設置され、無料の日本語ツアーもあり、また公式サイトも日本語ページが用意されているなど、日本人にとっては見学しやすい環境が整えられています。もし今後ハワイへ休暇を楽しみに行くことがあれば、半日だけでも真珠湾を訪れ、1941(昭和16)年にタイムスリップしてみてはいかがでしょうか。

【了】

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コメント

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4件のコメント

  1. ミズーリ号上の降伏文書署名は9月3日ではないし、開戦時、真珠湾にいた戦艦は8隻「あまり」もいなかったし、、、アリゾナの重油は「血」であるなら、汚染という言葉も使わない、普通の心を持つ人は。

  2. アメリカ視点ということは日本が悪者になっているということ。誰がそんなところにわざわざ行くものか。

  3. 「ノーモア・ヒロシマ」といえば「リメンバー・パールハーバー」なのだが、戦争を勝者と敗者ではなく正義と邪悪で弁別すると、正義の行為は終わらない。

  4. 日本もまたアメリカの原爆により血を流し続けてます。
    死者数も比べ物のならないくらいの数で、後遺症を持った方もすごい数です。