「小田急-JR直通」まだまだ伸びしろアリ!? 高速バスに苦戦する「特急」60年目の現状 ルーツは戦時中に

小田急線からJR御殿場線への直通運転は、使用車両や列車種別を変えながらも60年にわたり続いています。その歴史の軌跡と、現在の特急「ふじさん」のリアルな姿を紹介します。

戦時中に着工された「幻の連絡線」

 小田急線からJR御殿場線への直通運転は、使用車両や列車種別を変えながらも60年にわたり続いています。最初に検討されたのは、太平洋戦争中のことでした。東海道本線が空襲を受けた際の迂回路として小田急線が浮上し、御殿場線の松田駅と小田急線の新松田駅を結ぶ連絡線が着工されました。しかし完成しないまま終戦を迎えました。

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小田急ロマンスカーの60000形電車「MSE」で走る特急「ふじさん」(安藤昌季撮影)

 戦後、小田急は御殿場から箱根方面への観光ルートの構築を目指し、連絡線計画を再び検討します。1952(昭和27)年、小田急は国鉄に御殿場線への直通運転を申請します。

 御殿場線には最大25‰のきつい勾配があったため、日本で初めて2基のエンジンを搭載した気動車が投入されることになりました。そのキハ5000形は1両だけの単行運転を想定したため、ボックスシートの座席間隔は132cmと詰められていました。そのため乗客からは不評で、増備車からは152cmに拡大されました。

 キハ5000形の特別準急(国鉄線内は準急)は1955(昭和30)年に運転を開始。新宿~御殿場間を1日2往復し、最短1時間43分で結びました。途中停車駅は松田のみで、小田急の運転士が全区間を担当しました。当初は単行運転でしたが、好評を受けて車両が増備され、多客期には3両編成での運行も見られました。

 キハ5000形の特別準急は1日4往復に増発され、1968(昭和43)年には御殿場線の全線電化に伴いロマンスカーの3000形電車にバトンタッチします。列車種別は「連絡急行」(国鉄線内では急行)に変わり、「あさぎり」という列車名が付きました。回転式クロスシートを備えた「急行」は、当時としてはハイグレードな車両でした。

 電車化により、新宿~御殿場間は最短1時間34分に短縮され、さらに新原町田(現・町田)、松田、山北、駿河小山にも停車するようになりました。

 同時期に運転されていた国鉄急行「ごてんば」は東京~御殿場間が約2時間で、ボックスシートだったため、所要時間、グレードともに小田急直通急行の方が上回っていました。国鉄急行「ごてんば」は1985(昭和60)年に廃止されています。

 1991(平成3)年には、急行「あさぎり」が特急「あさぎり」に。このときJR東海は371系電車、小田急がロマンスカーの20000形電車「RSE」を投入し、直通列車は初めて「相互乗り入れ」となったのです。ともに二階建て車両を備えたハイグレードな特急列車でした。また、この時に乗り入れ区間も沼津まで延長され、所要時間は新宿~御殿場間が最短1時間32分、新宿~沼津間が最短1時間56分で結ばれました。

 しかし利用は伸び悩み、2012(平成24)年には運転区間が新宿~御殿場に短縮され、車両も小田急ロマンスカーの60000形電車「MSE」に一本化されました。現在は1日3往復で、所要時間は停車駅が増えたこともあり1時間33~44分となっています。

 また、2018(平成30)年からは列車名が「あさぎり」から「ふじさん」に変更されています。

【写真】特急「ふじさん」の車内と車窓

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