「幻の成田新幹線」工事の名残、いまなおここに! 実は、多くの人がその遺構を利用中
東京都心と成田空港を直結するはずだった、幻の「成田新幹線」。現在は在来線として使われている成田空港付近の高架橋やトンネルなどが計画の名残として比較的有名ですが、ほかにも「知られざる遺構」が点在して残っています。
本当は新幹線で成田空港に行けるはずだった
都心から約60km離れた位置にある成田空港。東京駅からアクセスする場合、JR東日本の特急「成田エクスプレス」で約50分を要し、在来線では日本一の最高速度(160km/h)を誇る京成電鉄の特急「スカイライナー」を利用(日暮里駅で乗り継ぎ)しても、ほぼ同じ所要時間です。
運賃の安い快速列車や高速バスなどを使えば、所要時間はさらに長くなります。空港に向かう列車やバスの車中、「なんで成田空港はこんなに遠いのか」と思ったことがある人は少なくないかもしれません。
実はかつて、東京都心と成田空港を直結する「成田新幹線」を建設し、最短30分で結ぶことが考えられていました。しかし、さまざまな問題から成田新幹線は幻に終わり、工事や用地買収の名残がいまも各地に点在しています。
御料牧場の活用で「都心から遠い空港」に
日本の高度経済成長に伴い、羽田空港に代わる首都圏の新しい国際空港を建設することが考えられるようになったのは、1960年代のこと。いくつかの場所が建設候補地として比較検討されましたが、政府は1966(昭和41)年7月、成田市三里塚に建設することを閣議決定しました。三里塚にある御料牧場の敷地を活用できることが、主な理由でした。
ただ、成田市三里塚は直線距離でも東京駅から約57km。アクセスには相当な時間がかかります。そこで、東京都心と空港を結ぶ高速道路の建設と、「高速電車」の運行も同時に閣議決定されました。
このうち「高速電車」は、閣議決定の2年前に開業した東海道新幹線と同じシステムの高速鉄道を建設することになり、1971(昭和46)年に基本計画(大まかなルートなどを定めた計画)と整備計画(走行速度や最高速度、建設費の概算などを定める計画)が決定。1972(昭和47)年2月に工事実施計画(詳細なルートや具体的な工事方法などを定めた計画)が認可されました。
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Writer: 草町義和(鉄道ニュースサイト記者)
鉄道誌の編集やウェブサイト制作業を経て鉄道ライターに。2020年から鉄道ニュースサイト『鉄道プレスネット』所属記者。おもな研究分野は廃線や未成線、鉄道新線の建設や路線計画。鉄道誌『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)などに寄稿。おもな著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。