京急「新時代」築いた2000形が引退! 最後の特別運転はオリジナル塗装車(写真57枚)
京急の「伝統」から抜け出した初の車両
こうして大きく姿を変えた2000形ですが、老朽化のため2012(平成24)年から廃車が始まりました。2018年3月には2011編成と2061編成のふたつだけになり、まず2061編成が引退。最後に残った2011編成も、イベントが開催された3月25日(日)から数日以内に引退の予定です。
ちなみに、2000形は京急の「伝統」から脱却した電車としても知られています。
かつての電車のドアは、ひとつの引き戸が片側に開く「片開き」が一般的でした。1970年代のころには、ラッシュ時の乗り降りにかかる時間を短くするためドアの幅を広げ、ふたつの引き戸が両側に開く「両開き」が普及。ところが、京急はそうしたなかでも片開きの電車を導入し続けました。両開きを初めて採用したのが2000形だったのです。
片開きを採用し続けたのは、1973(昭和48)年から1979(昭和54)年まで京急の副社長を務めた、故・日野原 保の方針だったといいます。日野原副社長は「乗降時間を短縮するならドアを大きくするより数を増やした方がいい」と考え、1960~1970年代にデビューした700形電車や800形電車は従来の車両と同じ片開きのドアを採用しつつ、ドアを従来よりひとつ増やして片側4か所にしました。
先頭車のヘッドライトにも「伝統」がありました。ほかの鉄道会社はライトをひとつだけ設置した「1灯式」から、ふたつに増やした「2灯式」への移行が進んでいましたが、京急は「1灯式」のまま。これも日野原副社長の方針とされています。2000形は運転台の窓下にヘッドライトをふたつ設置し、ドアと同様に「伝統」からの脱却が図られました。
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なお、「伝統」を初めて打ち破った2000形は引退しますが、「伝統」を最後に採用した1978(昭和53)年デビューの800形は、いましばらく残る見込みです。また、京急の関係者によると、2011編成は保存の方向で検討しているとのことです。
【了】
Writer: 草町義和(鉄道ニュースサイト記者)
鉄道誌の編集やウェブサイト制作業を経て鉄道ライターに。2020年から鉄道ニュースサイト『鉄道プレスネット』所属記者。おもな研究分野は廃線や未成線、鉄道新線の建設や路線計画。鉄道誌『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)などに寄稿。おもな著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。
今日は、品川駅で、京急2000形電車の引退記念列車の写真撮影をしました。快速特急 ウィング号 元日早朝の臨時列車 初日号等の数々の列車がありました。特に、30年前の創立90周年記念のギャラリー列車が印象でした。36年間ありがとうございました。