【廃線跡の思い出】東武東上線 「幻の飛行場」計画で消えた旧ルート

東京の通勤鉄道として大勢の通勤客を輸送している東武東上線。もちろん現役の路線で廃止の話が浮上したことなど一度もありません。しかし、戦時中の事情でルートが一部変更され、変更前の線路は「廃線」になりました。

境界標は「東武」の2文字

 私がデジタルカメラを導入したのは1999(平成11)年のこと。しばらくはフィルムカメラと併用してましたが、2002(平成14)年2月には画素数が大幅に増えた新しいカメラを購入し、これ以降はデジタル一辺倒になりました。デジカメ導入後に初めて歩いた廃線跡が、同年3月に訪ねた東武鉄道の東上本線(東上線)です。

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「東武」の2文字が刻まれた旧線跡の境界標(2002年3月30日、草町義和撮影)。

 東上線は東京の通勤鉄道として知られる路線で、もちろん廃線ではありません。しかし、東松山~武蔵嵐山間は太平洋戦争末期の1945(昭和20)年1月にルートが変更されており、旧ルートの線路が廃止されています。厳密には廃線跡というより「旧線跡」です。

 これは戦時中、陸軍の飛行場を建設することが計画されたため。東上線の線路を含む土地が建設予定地となり、線路を北側に移したのです。しかし、飛行場が完成する前に終戦の日を迎え、ルート変更は無駄になってしまいました。

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Writer: 草町義和(鉄道ニュースサイト記者)

鉄道誌の編集やウェブサイト制作業を経て鉄道ライターに。2020年から鉄道ニュースサイト『鉄道プレスネット』所属記者。おもな研究分野は廃線や未成線、鉄道新線の建設や路線計画。鉄道誌『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)などに寄稿。おもな著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。

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