【鉄路の脇道】地方の高校生が大学鉄研に入ってJR完乗を目指した話
慶応大学鉄道研究会の代表を務めたこともある筆者が、JR線の全線完乗を志すようになった経緯を語ります。
鉄道を「好き」になった福井の高校生
「まあ30歳までに達成できたらいいかな」……これは、2018年8月で30歳を迎える私の「JR全線完乗」に対する気持ちでした。過去形なのは、夢破れたからではありません。
人によって完乗に至るまでの経緯はさまざまだと思いますが、今回は私の場合を紹介させていただきます。
私が鉄道を「好きだ」とはっきり自覚したのは高校生時代にさかのぼります。この趣味業界では少し遅咲きでしょう。素地自体はそれより以前に形成されていたはずですが、そのあたりはいずれどこかで書ければと思っています。
当時、私は高校までいわゆる「汽車通学」をしていました。自宅最寄りの越美北線で福井まで行き、そこからえちぜん鉄道に乗り換え、田原町駅で降りるというルートです。この経路において重要なのは復路です。えちぜん鉄道は30分に1本と、それなりの本数を誇っていたのですが、越美北線は、列車の間隔が3時間あくこともざらではありません。そんなわけで、福井駅のホームで1時間やらなんやらの時間を過ごす機会がたびたび生じました。
北陸本線は普通列車より特急列車の本数のほうが圧倒的に多く、「特急街道」、あるいは「特急銀座」と称されることもあります。ぼんやりとホームにたたずむ私の前を大阪行きの特急「雷鳥」や「サンダーバード」、あるいは名古屋、米原行きの特急「しらさぎ」が次々と発車していきました。
目の前の、それこそ触れられる距離に停車している列車が数時間後には知らない街にいるということ。線路がずっと続いているということ。そこに私は鉄道の魅力を感じてしまったのです。
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Writer: 蜂谷あす美(旅の文筆家)
1988年、福井県出身。慶應義塾大学商学部卒業。出版社勤務を経て現在に至る。2015年1月にJR全線完乗。鉄道と旅と牛乳を中心とした随筆、紀行文で活躍。神奈川県在住。