【懐かしの国鉄写真】最急勾配だった碓氷峠 旧線から新線への変わり目を訪ねた(写真24枚)

20年以上前、北陸新幹線の開業にあわせて廃止された、信越本線・横川~軽井沢間の碓氷峠区間。しかし路線廃止の30年前にも昔の線路を「廃止」して、新しい線路に切り替えたことがあります。新旧両線が「併存」したいたころの碓氷峠を訪ねました。

「新線建設」と「旧線改修」で複線化

 北陸新幹線・高崎~長野間(長野新幹線)の開業に伴い1997(平成9)年に廃止、経営分離した信越本線・横川~篠ノ井間のうち、横川~軽井沢間は通称「横軽(よこかる)」と呼ばれ、群馬県と長野県の境となる碓氷峠を越えていました。このあいだの標高差は552mに及ぶため、66.7パーミルという国鉄線では最も急な勾配が存在していました。

Large 20181111 01

拡大画像

旧線を下って来たDC急行。アプト区間ではすべての列車の横川寄りに3両、軽井沢寄りに1両のED42が連結される(1963年8月31日、楠居利彦撮影)。

 1893(明治26)年に「横軽」が開業したときは、急勾配を登るため「アプト式」を導入。線路にはラックレール、機関車にはこれと噛み合うビニオンを設けることで、けん引力を確保していました。しかし、1列車に機関車4両を必要とし、それでも輸送力、速度は平たん線より大幅に少なく、非効率的な運転を強いられていました。

 この解決策としてループ線などで勾配を緩和する案も検討されましたが、技術的な進歩で66.7パーミルの勾配でも粘着運転が可能とされ、アプト式の線路に沿って粘着運転用の新線が1本建設されました。その後、アプト式の旧線の一部を改修する形で粘着運転の新線をさらに1本建設。最終的には複線にして、輸送力の増強と所要時間の短縮を実現することになったのです。

 私が碓氷峠を訪れたのは1963(昭和38)年8月31日、高校の夏休みの最終日でした。この年の7月15日に信越本線は軽井沢~長野間の電化が完成。横川~軽井沢間の新線の使用も始まりました。ただし、この時点では新線は1本だけ。アプト式の旧線と粘着運転の新線を両方使った暫定的な複線運転(厳密には単線並列)が行われていたのです。

Large 20181111 02

拡大画像

小雨模様だったが横川から線路に沿って歩き始めた。丸山信号場の手前あたりでは新線と旧線に高低差が付いていた(1963年8月31日、楠居利彦撮影)。
Large 20181111 03

拡大画像

熊ノ平を通過する80系の準急「軽井沢」。7月15日から2往復が長野まで延長となっているが、この列車の行き先は確認していない(1963年8月31日、楠居利彦撮影)。

残り74文字

この続きは有料会員登録をすると読むことができます。

2週間無料で登録する

Writer:

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

最新記事

コメント

記事ランキング

  1. 家族が「SSSS航空券」を引き当ててしまった…! 乗る前から“異変” 保安検査員も「Oh…」 誰でも起こり得る“緊迫の一部始終”
  2. ロシア軍の爆撃機が「真っ逆さまに墜落」 地上に激突する瞬間を捉えた映像が公開 “巨大な黒煙”が立ち上る
  3. “まるで高速”な無料バイパス「全線4車線化」へ変貌開始! 一部の上下線分離まもなく 対面通行を解消 国道8号
  4. 飛行中の「日の丸特別機」に粋なサプライズ! 天皇皇后両陛下を“最新ステルス戦闘機”がお出迎え
  5. 「危なすぎる!」阪神高速“中の人”がブチギレ!? “衝撃動画”とともに呼びかける「ドライバーが守るべき3つのこと」とは
  1. 家族が「SSSS航空券」を引き当ててしまった…! 乗る前から“異変” 保安検査員も「Oh…」 誰でも起こり得る“緊迫の一部始終”
  2. あと1年足らずで「現金でバス乗れなくなります」 全路線“完全キャッシュレス化”疑問に応えるサイト開設 京王バス
  3. ETCの手前で「ガシャン!」高速入口に吊るされた「黄色い鎖」の正体は? 傷つく覚悟で“あえてぶつける”超アナログな理由
  4. ロシア軍の爆撃機が「真っ逆さまに墜落」 地上に激突する瞬間を捉えた映像が公開 “巨大な黒煙”が立ち上る
  5. 「“再有料化”でいいから4車線化して」→普通車280円になって1年 利用者負担で勝ち取った“効果”あきらかに 八木山バイパス