【懐かしの国鉄写真】東北本線で旧型電機を追いかけた日々(写真24枚)

「SLブーム」が終わりを迎えようとしたころ、鉄道ファンの関心は旧型電機や旧型国電へと移っていきます。とくに人気が高かったのは、デッキ付き旅客用の旧型電機、EF57形でした。

EF58の撮影は「フィルムの無駄づかい」?

 昭和40年代の中ごろは消えゆく蒸気機関車に人気が集まり、函館本線の上目名だとか伯備線の布原といったローカルな場所が撮影地として有名になりました。しかし、1975(昭和50)年3月のダイヤ改正で本州と九州の無煙化が達成され、SLブームは終焉(しゅうえん)を迎えます。

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日本の蒸気機関車が終焉(しゅうえん)を迎えたころ、鉄道ファンの関心は旧型電機に移っていった(1975年3月、楠居利彦撮影)。

 そこで、SLに変わるターゲットとして注目され始めたのが、旧型電機と旧型国電です。

 旧型電機とは「先輪が付いている直流電気機関車」と考えればよいでしょう。手元にある1973(昭和48)年3月31日現在の『国鉄車両配置表』(鉄道図書刊行会)によれば、これに該当するのはED11、ED16、ED18、ED19、EF10、EF11、EF12、EF13、EF15、EF16、EF18、EF52、EF56、EF57、EF58、EF59の16形式となります(ED11とED18は先輪がないが、年代的に旧型)。

 このなかでも特に人気を集めたのは、旅客用でデッキが付いたEF56、EF57の2形式でした。EF56形はすでに第一線を退き、荷物客車のけん引でほそぼそと余命をつないでいたので、このころ首都圏で旧型電機を撮りに行くといえば、EF57形を撮影することを意味していました。そのため、「ゴハチ」ことEF58形しか来ない高崎線は問題外で、撮り鉄は東北本線に集中したのです。

 この時期、都心部から一番近く、周囲が開けていて撮影しやすい場所がある東大宮~蓮田間、通称「ヒガハス」がお手軽撮影地として有名になりました。昼間は午前中に上り急行「津軽2号」「八甲田」、普通123列車、午後に普通122、124、125列車が狙え、多客期には昼間の臨時急行も加わります。

 いずれにせよ狙いはEF57形なので、EF58形が来たら“ハズレ”でした。せっかくだからとシャッターを切ると、先輩ファンから「フィルムを無駄づかいするなよ」と、皮肉混じりにいわれたりしたものです。

西からの「ゴハチ」転入で消えたEF57

 東北本線の直流区間を受け持つ電機は、宇都宮運転所に配置されていました。ここで同所に配置されていたEF56、EF57、EF58の両数を年度別に比較してみましょう。

 1973(昭和48)年3月31日現在でEF56形は6両(4、6、7、9~11)、EF57形は14両(1~11、13~15)、EF58形は9両(58、70、73、89、102、108、109、152、153)。EF57形とEF58形は共通運用なので、定期列車を牽引する確率はEF57形の方がやや多いかなという状態でした。

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EF56 7 荷41列車 白岡~久喜:荷客のみとなったEF56で昼間に撮れるのは荷41列車だけだった。1975年3月改正で高崎区のEF58けん引となる(1974年4月、楠居利彦撮影)。

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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