【廃線跡の思い出】近鉄小房線のルートを体現していた「斜めの住宅街」

近鉄吉野線は橿原神宮前駅で近鉄南大阪線と接続し、大阪方面と吉野方面の直通列車が運行されていますが、現在のJR桜井線に接続していたこともありました。その接続部分の名残を、廃止から43年後にたどってみました。

かつては近鉄吉野線の一部だった

 近畿日本鉄道(近鉄)が運営していた奈良県橿原市内の小房線(おうさせん)を訪ねたのは、いまから24年前の1995(平成7)年3月。廃止からは43年が過ぎていました。

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近鉄橿原線を走る大和西大寺行き普通列車。写真の左側に小房線の線路があった(1995年3月、草町義和撮影)。

 近鉄小房線は、国鉄(現在のJR西日本)桜井線 畝傍(うねび)駅と現在の近鉄南大阪線、吉野線、橿原線の橿原神宮前駅を結んでいた鉄道路線です。国鉄和歌山線の吉野口駅(奈良県御所市)と吉野駅(現在の六田駅)を結んでいた吉野鉄道(現在の近鉄吉野線)が、北への延伸を計画。1923(大正12)年から1924(大正13)年にかけ、吉野口駅から久米川駅(現在の橿原神宮前駅)と橿原神宮前駅(初代)を経て、畝傍駅に至る区間が延伸開業しました。

 吉野鉄道は和歌山線に接続することで、大阪から吉野方面へ向かう行楽客を運んでいましたが、橿原に隣接する現在の桜井市に木材市場があったことから、吉野産の木材を市場に運ぶため、桜井線に接続する延伸区間も整備したのです。

 つまり、小房線は現在の近鉄吉野線の一部として建設されたもの。開業当時は小房線とは呼ばれていませんでした。ただ、1928(昭和3)年には橿原神宮駅(初代)と畝傍駅のあいだに小房駅が開設されています。

 その後、線路の移設や運営会社の統合を経て、1941(昭和16)年には畝傍駅と現在の橿原神宮前駅を結ぶ区間が小房線と名付けられ、吉野線から独立しました。ところが、それからわずか4年後、終戦間近の1945(昭和20)年6月には旅客列車の運転が終了してしまいます。

 このころ小房線を運営していた関西急行鉄道(現在の近鉄)は、現在の近鉄橿原線や近鉄南大阪線など、大阪と橿原、吉野方面を直接結ぶ路線も運営。旅客輸送に関しては、国鉄線との接続が必ずしも必要ではなかったといえるでしょう。その後、貨物列車の運行も終了し、戦後の1950(昭和25)年に路線自体の営業を休止。1952(昭和27)年には正式に廃止されました。

 小房線の歴史に強い関心があったわけではなく、ここを訪ねようと思った理由も覚えていません。ただ、1995(平成7)年の3月末まで奈良に住んでいましたから、奈良を離れる前に近場の廃線跡を巡っておこうと考えたのかもしれません。

 畝傍駅から桜井線の線路に沿って東に進むと、桜井線の線路の脇に小房線の橋台らしきコンクリート構造物が土に埋もれているのを見つけました。その先で小房線の線路は右にカーブして進路を南に変えますが、カーブした部分の跡地は雑草生い茂る空き地のまま残っていました。

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Writer: 草町義和(鉄道ライター)

1969年、新潟県南魚沼市生まれ。鉄道趣味誌で列車の乗車ルポや幻の鉄道(未成線)の散策記などを多数発表してきた。著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。趣味はアサガオ、ゴーヤの栽培。

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