【廃線跡の思い出】東北の「幻の鉄路」が息づく岡山の廃線跡 玉野市営電気鉄道を歩く

かつてJR宇野線と宇高連絡船の乗り換え地点だった宇野駅。ここから西へ約5kmにわたって伸びていた玉野市営電気鉄道の跡地を訪ねました。しかし、本当の目的は廃線跡の散策というより、「いわく付き」の電車の見物でした。

未成線の「キャンセル車」とされる電車を保存

 JR宇野線の終点で、本州と四国を結ぶ宇高連絡船の接続点だった宇野駅(岡山県玉野市)。かつては、ここから玉野市内を西へ約5km進む玉野市営電気鉄道の線路がありました。

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玉野市内に保存されている、ことでん750形760号。かつては備南電気鉄道(のちの玉野市営電気鉄道)のモハ100形モハ103号だった(2016年4月、草町義和撮影)。

 もともとは終戦直後、備南電気鉄道という私鉄が、宇野線と造船工場を結ぶ貨物専用線を使って営業運行しようと計画。1953(昭和28)年から1955(昭和30)年にかけて宇野駅から玉駅(2代目)までの3.7kmが開業しました。

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玉野市営電気鉄道の路線図。大聖寺前駅以外の途中駅は省略(国土地理院の地図を加工)。

 しかし利用者が少なく経営も悪化し、1956(昭和31)年に市営化されました。1960(昭和35)年には玉遊園地前駅まで1.0km延伸開業し、1964(昭和39)年にはコスト削減のため電車の運転を取りやめて気動車の運行に変わりましたが、それでも経営は改善されず、1972(昭和47)年3月31日限りで廃止されたのです。

 私が玉野市営電気鉄道の廃線跡を訪ねたのは、2016年4月でした。ただ、その目的は廃線跡の散策というより、保存されている車両の実見がおもな目的。宇野駅からタクシーに乗って、「すこやかセンター」という玉野市の福祉施設に向かいました。玉野市営電気鉄道の終点だった玉遊園地前駅の跡地から、西へ200mくらいの場所です。

 すこやかセンターの敷地内の南西側に、木造の車庫らしきものがぽつんとあります。その屋根の下に、茶とクリームの2色をまとった、高松琴平電気鉄道(ことでん)750形電車760号の姿がありました。車体は木造の屋根に覆われていて風雨に直接さらされることはなく、市民団体の手により修繕も行われているためか、車体の状態は良好です。

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Writer: 草町義和(鉄道ニュースサイト記者)

鉄道誌の編集やウェブサイト制作業を経て鉄道ライターに。2020年から鉄道ニュースサイト『鉄道プレスネット』所属記者。おもな研究分野は廃線や未成線、鉄道新線の建設や路線計画。鉄道誌『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)などに寄稿。おもな著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。

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