落下傘部隊になぜ空輸できない戦車を配備した? 陸自黎明期 第1空挺団戦車部隊の顛末
陸自のいわゆる落下傘部隊は、かつて装甲車すら重量などの関係で空輸できなかった時代に、それより重い戦車が配されていました。航空機からの降下を主とする部隊に、航空機に乗せられない戦車の配備、もちろん理由があります。
空輸できる輸送機ないのに戦車保有とは
千葉県の習志野駐屯地に所在する陸上自衛隊第1空挺団は、日本最大の落下傘部隊として、日夜、航空機からパラシュートで飛び降りる訓練を行っています。
輸送機やヘリコプターなどで迅速に移動できることを主軸にしているため、第1空挺団のほとんどの装備は原則として空輸できるものに限られていますが、過去には自衛隊の航空機では空輸不可能な戦車を装備していたことがありました。
第1空挺団が誕生したのは1958(昭和33)年6月で、その2年後の1960(昭和35)年4月、空挺団隷下に戦車隊が新編されています。
空挺団戦車隊は発足当初、正式名称を「第1空挺団普通科群本部中隊情報小隊特車班」といいました。2年後の1962(昭和37)年に陸上自衛隊全体で「特車」という単語が「戦車」に改められたことにともない、「第1空挺団普通科群本部中隊空挺戦車小隊」へ改称されるとともに、情報小隊のなかの班から戦車小隊として独立します。
装備していたのは当時、陸上自衛隊の主力戦車であったアメリカ製のM24「チャフィー」軽戦車で、5両で1個小隊の編成です。
M551シェリダンって距離は知らんがC-130で輸送ができるし、低高度パラシュート抽出システム(LAPES)で空挺が可能だったはず。
もっとも故障したりで不評の戦闘車両ではあったが…。
シュリダンは、軽量化の為にアルミ製なのが、防御力や火災のリスクで難しかったのでしょうね。