県初のラウンドアバウト そこは鉄道廃線跡 ならではの課題解決に合理的だったワケ

ラウンドアバウト化のメリット発揮 複雑交差点がスッキリ

 大田原市道路課によると、今回のラウンドアバウト化は、地元住民から土地の提供を受けて実現したといいます。交差点の規模としては大きくなったものの、交差点のすぐ南西で旧東野鉄道線に接続していた農道も交差点に合流するよう付け替え、環道から計6本の道が放射状に延びる形状の交差点へと生まれ変わりました。

 複雑に交差していた道を環道にまとめられただけでなく、ラウンドアバウトであれば必ず左折をともなうため、スピードも抑えられ、事故防止につながると大田原市道路課は話します。費用面でも、信号の設置より若干ながら抑えられたそうです。

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狭原のラウンドアバウト。旧東野鉄道線から南を望む(2020年6月、中島洋平撮影)。

 ちなみに、東野鉄道は1918(大正7)年に開業し、現在のJR西那須野駅から大田原市街、旧黒羽町(現・大田原市)を経て、那珂川町にあった那須小川駅までを結んだ私鉄です。このうち、今回ラウンドアバウトができた狭原地区を含む黒羽~那須小川間は、戦前の15年間しか存続しませんでした。2020年現在、その一部が道路になっています。

 なお、残る西那須野~黒羽間も1968(昭和43)年に廃止されたのち、東野鉄道は「東野交通」と名を変え、路線バスを中心に事業を展開していましたが、2018年に県内最大のバス事業者である関東自動車に吸収合併されました。とはいえ、旧東野交通のバスはいまも「東野バス」の名で、車両デザインもほぼ変わらず走っています。

【了】

【画像】この地を走っていた「東野鉄道」路線図

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