「3」が付く潜水艦は縁起が悪い!? 旧海軍伊33潜にまつわる嘘のようなホントの話

終戦後も旧海軍の潜水艦に「3」がつきまとう

 2度目の沈没において伊33潜水艦は引き揚げられることはなく、1944(昭和19)年8月10日に除籍されます。

 そして終戦から8年後の1953(昭和28)年7月下旬、伊33はようやく引き揚げられることになります。艦内には数多くの殉職者が当時のまま眠っていたほか、遺書なども見つかりました。本格的な調査を行うべく、瀬戸内海の因島にある日立造船(現・ジャパンマリンユナイテッド)因島工場へ収容しましたが、そこで前部魚雷発射管室を開けたところ、内部に蔓延した有毒ガスにより、立ち入った技術者が亡くなっています。

 このときの犠牲者もまた3名であり、最後まで「3」という数字がつきまとった艦でした。

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終戦直後の1945年10月16日の呉港。多数の旧日本海軍潜水艦が係留されている(画像:アメリカ海軍)。

 ちなみに、太平洋戦争で最後に敵艦の攻撃で沈没した潜水艦は、1945(昭和20)年8月14日夜に沈んだ伊373です。また、それから終戦を挟んで2か月半後の10月29日、回航中の伊363潜水艦が宮崎県沖で機雷に触れて沈没しますが、これは海没処分などを除き、乗員による航行中に沈んだ最後の旧日本海軍潜水艦といわれています。

 この2艦の末尾も「3」が付きます。これらはすべて偶然なのでしょうか。もしかしたら、伊33も当初の名称のまま伊41(伊号第四十一)潜水艦だったら、運命が変わっていたのかもしれません。

【了】

【写真】戦後撮られた旧日本海軍潜水艦の艦内

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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