北海道を知るには「鉄道廃線跡」 日本を支えた石炭輸送の記憶 いまなお残る痕跡〈PR〉
北海道の歴史を語るうえで欠かせないのが「石炭」です。道内の炭鉱から石炭を運び出すため、数多くの鉄道が敷かれ、そして廃止されていきました。しかし、それらはいまも何らかの形で、日本の近現代を支えた歴史を伝えています。
日本では首都圏、京阪神、そして北海道で鉄道の誕生が早かった背景
北海道の中央部、空知地方の三笠市では、春から秋にかけて毎週末のように、SLの汽笛が響きます。音の発信源は、市内の幌内地区にある鉄道の博物館「三笠鉄道村」。ここでは日本で唯一、石炭を使って走る本物のSLを、一般人が運転できるのです。
「SLの『体験運転士』には全国でおよそ900人が登録しており、道外から何百回と乗りに来ている方もいます。何度も乗ることで運転士としてランクアップする仕組みで、旧国鉄と同じ試験項目の昇進試験も設けています」(三笠鉄道村を運営する三笠振興開発 代表取締役 永田 徹さん)
三笠鉄道村は、1987(昭和62)年に全線廃止となったJR幌内線の跡地を活用した施設。体験運転に使われる1939(昭和14)年製のSL「S-304号」のほか、園内には国鉄の貴重な車両がずらりと並びます。
そしてここは、「北海道の歴史」においても重要な場所です。
「三笠市はもともと、道内でも最も早く拓けた炭鉱街です。ここで産出された石炭を運び出す目的で敷設された、のちに国鉄・JR幌内線となる官営幌内鉄道の営業が1880(明治13)年、日本でも3番目の早さで始まっています。その歴史を後世に残していきたいという思いから、JR幌内線廃止の2か月後に三笠鉄道村をオープンしました」(三笠振興開発 永田 徹さん)
明治初期、政府が国家の近代化、工業化を図るべく殖産興業に力を注ぐなか、北海道の開拓に携わったアメリカ人技師ケプロンが、幌内川上流に埋蔵量の豊富な石炭層を発見しました。
そこで採掘された石炭を港へ輸送する手段として、海に面した小樽の手宮と幌内を結ぶ官営幌内鉄道の建設がはじまり、1880(明治13)年、日本の鉄道で3番目という早さで営業が始まったのです(幌内まで通じたのは1882〈明治15〉年)。この官営幌内鉄道は、現在のJR函館本線の一部でもあり、札幌駅は最初、官営幌内鉄道の駅として開業しています。
なお日本の鉄道開業は、現在のJR東海道本線にあたる1872(明治5)年の新橋~横浜間、1874(明治7)年の大阪~神戸間に続き、1880(明治13)年の官営幌内鉄道を3番目とする場合のほか、官営幌内鉄道より約2か月早く開業した鉱山専用鉄道の工部省釜石鉄道を3番目、官営幌内鉄道を4番目とする場合もあります。
目を閉じれば浮かびあがる、石炭貨車を多数連結した蒸気機関車
「鉄道終着駅の最寄りには炭鉱があって、炭鉱の選炭工場へつながる専用線が敷かれていました。その選炭工場へ、炭鉱で採掘された石炭がベルトコンベアなどを通じて運ばれ、選別ののち、鉄道で輸送されていったのです」(夕張市石炭博物館 管理部長 原田唯史さん)
かつて北海道空知地方には、幌内や夕張をはじめ多くの炭鉱が存在。日本の近代化を支えましたが、石炭がエネルギーの主役である時代が終了した現在、北海道でその鉄道輸送は行われていないほか、幌内線のように役目を終え廃止された路線も少なくありません。
しかし三笠鉄道村のような石炭に関わる「鉄道の跡」は、いまなお空知地方の各所に存在。開拓期における北海道や、一大転換期であった明治の日本、そうした歴史のロマンを現代に伝えています。
「廃線跡」もそのひとつです。かつて夕張の炭鉱から多くの石炭を運び、2019年4月に廃止されたばかりのJR石勝線夕張支線には、線路や駅、鉄橋などが現在もほぼそのまま残っています。
また同じ夕張市内では、北海道の私鉄としては最後となる1987(昭和62)年に廃止された三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の南大夕張駅跡に、かつて使用されていた鉄道車両(ラッセル車、客車など)やホームが保存されています。
幌内線の唐松駅(三笠市)や、万字線の朝日駅(岩見沢市)、函館本線上砂川支線の上砂川駅(上砂川町)のように、駅舎が当時のまま残っているところもあります。
また廃止された線路の跡は多くの場合、レールが剥がれていたり、道路に転用されていたりしますが、たとえば歌志内線では一部区間が自転車道になっているなど、廃線跡をたどるのが比較的かんたんなケースもあります。
かつて確実に存在した「石炭の時代」へ、タイムスリップ
「鉄道」と直接の関係はない、北海道と日本の近現代を知ることができる歴史スポットも、空知地方では各所に存在します。
かつての北炭夕張炭鉱の跡地を利用して造られた夕張市石炭博物館は、石炭の採掘技術や炭鉱の生活などを、実物の資料や坑道を用いて紹介している施設。本館展示をリニューアルした2018年には、市の人口を大きく上回る3万2000人が訪れるなど、夕張市における観光の目玉ともなっています。
「リニューアルでは、夕張という街が『石炭』『炭鉱』とどう関わってきたのか、初めて夕張を訪れる方にも分かるようにしました。本館展示を見ていただいたうえで、地下展示の数々を見ていただくと、より理解が深まるかと思います」(夕張市石炭博物館 原田唯史さん)
同様の施設は歌志内市にも。廃止された歌志内線の終点、歌志内駅跡に隣接する歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」は、炭鉱で実際に使われた採炭機材や、歌志内線に関する資料のほか、往時の生活用具などを展示し、昭和30年代にタイムスリップしたかのような懐かしさを感じられるのが特長です。
「歌志内も道内で早く鉄道が開通し、昭和の最盛期には5万人近くが住んでいました。日本の産業発展を支えていた歌志内のような街が、北海道をはじめ九州など日本各地に存在していたのです。そのような時代があったことに想いをはせながら、数々の展示品を見ていただきたいですね」(歌志内教育委員会 社会教育グループ 主査 佐久間淳史さん)
このほか空知地方には、かつての炭鉱の坑口跡や炭鉱住宅の跡、廃棄した鉱石が積み上げられてできた「ズリ山」など、石炭で栄えていた街の面影を感じられる場所が数多く残っています。
「北海道の近現代」をいまに伝える線路跡と関連施設
歌志内市の人口はいまや3500人を割り、「日本一人口が少ない市」となっています。著しい人口減少は、石炭で栄えた空知地方全体で起こっており、夕張市では最盛期に11万人を超えていたのが、2019年には8000人を下回りました。
こうした街に残る鉄道の廃線跡や駅舎跡、関連施設などは、かつて北海道が「石炭」で日本の工業化を推進し、その経済成長を支えていた証でもあり、それによって地域文化や経済、生活が成り立っていた名残でもあります。と同時に、これらは、明治時代以降の北海道発展の歴史を知ることができる場所でもあるのです。
また「廃線跡探訪」は、鉄道趣味のいちジャンルにもなるほどのポピュラーなテーマです。そして「炭鉱遺産」を後世に伝えようと、ガイド付き炭鉱遺産見学を実施している自治体やNPO法人も出てきています。開拓期から石炭で栄えた往年の北海道に想いをはせながら、じっくり廃線跡や関連施設を旅してみるのも面白いのではないでしょうか。
なお、紹介した施設のうち三笠鉄道村は、例年10月中旬から4月中旬まで冬季閉館です。夕張市石炭博物館も2019年の営業は11月初旬までですが、事前に予約した団体に限り見学が受け付けられます。
【了】