さらば大量輸送時代 退役進むボーイングの巨人機「777」を振り返る 世界を近づけた双発機

777デビュー前、飛行機の乗り方にも変化?

 1970年代に想定されていた航空旅客の動向は、出発地近くの大きな空港まで移動し、その大きな空港から目的地近くの大きな空港まで大型機で移動、その後、目的地まで乗り換えて移動するというものでした。これはハブ&スポークという考え方であり、大きな空港を設置できる大都市を、そのエリアの中心的な役割を果たす「ハブ空港」として整備し、その周辺に自転車のスポークを延ばすように中小の空港を整備し、旅客需要に対応するという考え方です。

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JALのボーイング767-300ER型機(乗りものニュース編集部撮影)。

 この考え方においては、737に代表される近距離用で席数が少ない小型の旅客機と、長距離を飛行する、767などの中型、747などの大型旅客機が必要でした。

 その後、アメリカ国内では、1973(昭和48)年のオイルショックを経て、1978(昭和53)年にデギュレーション法と呼ばれる、航空路線設立の自由化に関する航空規制緩和法が可決されました。これにより、一部の航空会社の独占状態だった路線にも、航空会社が参入できるようになったわけです。

 その結果、航空旅客需要の拡大に対応して航空旅客運賃のレベルが下がり、アメリカ国内の航空自由化につながりました。また、それまでのハブ&スポークという、どちらかというと航空会社側にとって都合の良い路線展開から、ポイント・トゥー・ポイントという小さな空港にも直行便を数多く運用して、旅客にとって利用しやすい便を設定できるようになりました。

 やがて、ポイント・トゥー・ポイントに基づいた路線ネットワークは、国際線でも見られるようになりました。当時、これを主に担当するボーイング機は767でしたが、航空自由化によって大きく増えた搭乗客数に対応するには、容量が小さすぎるという課題もありました。そこで、767X、のちの777の開発となったというわけです。

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コメント

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2件のコメント

  1. B777って初期型から主翼の折りたたみ機構は提案されていた記憶が…。

    • それは間違い