【都市鉄道の歴史をたどる】帝都高速度交通営団設立80年 誕生から民営化までを振り返る

東京メトロの前身、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が設立してから2021年7月4日で80年。交通営団はどのような経緯で設立し、なぜ民営化に向けて動き始めたのでしょうか?

この記事の目次

・営団地下鉄は3番目の営団
・交通営団設立のいきさつ
・戦後の交通営団
・完全民営化を目標として特殊会社へ
・特殊会社化は南北線と半蔵門線が完成した時点を目途に

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営団地下鉄は3番目の営団

 今年、2021年は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の設立からちょうど80年の節目の年です。交通営団は2004(平成16)年に特殊法人改革の一環として民営化され、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)に改組されました。

 前身にあたる交通営団は太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年7月4日、住宅営団(同年4月設立)、農地開発営団(同年5月設立)に続く3番目の営団として設立されました。その後も食糧営団、産業設備営団、交易営団など様々な営団が設立されますが、終戦後、その他の営団が戦時体制下の統制機関であるとして廃止されたのに対し、交通営団は唯一、存続を認められた経緯があります。

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JR東日本の301系電車とすれ違う営団地下鉄5000系電車。JRは1987(昭和62)年4月に発足。東京メトロはその17年後に設立となった(伊藤真悟撮影)。

 交通営団はどのように設立され、なぜ戦後も存続することになったのでしょうか。そして、なぜ民営化されることになったのでしょうか。80年の歴史を振り返ってみましょう。

交通営団設立のいきさつ

 交通営団の設立以前、1930年代は鉄道事業者にとって受難の時代でした。1927(昭和2)年に昭和金融恐慌、1929(昭和4)年に世界恐慌が発生して慢性的な不況に陥り、交通機関の利用者も落ち込みました。そこに自動車の普及が追い打ちをかけます。

 日本に本格的なモータリゼーションが到来するのは戦後しばらくたってのことですが、バスやタクシー、トラックなど商用車は1930年代から普及が進み、鉄道路線を脅かし始めました。そこで1938(昭和13)年、鉄道事業者の苦境を救うべく陸上交通事業調整法が制定され、乱立する交通事業者の整理統合を図ることになりました。

 法律に基づいて設置された交通事業調整委員会は1940(昭和15)年12月、山手線外の鉄道とバスは東急、西武、東武、京成の4社に統合するとともに、山手線内の路面交通(路面電車とバス)は東京市が、地下鉄は新設する特殊の機関が担当するという調整案を決定しました。

 当時、東京には東京地下鉄道(浅草~新橋間)、東京高速鉄道(新橋~渋谷間)、京浜地下鉄道(新橋~品川間、未成)の3つの地下鉄事業者が存在していましたが、いずれも経営は苦しく、新線建設は停滞していました。これら地下鉄事業者は新線建設、既設線運営については十分なノウハウを有していたものの、莫大な建設費を調達することが困難だったからです。

 そこで政府は、東京地下鉄道、東京高速鉄道、京浜地下鉄道を母体として、国や自治体などの出資により交通営団を設立するとともに、交通営団に資本金の10倍までの交通債券を発行する権限を与えました。

 このように政府が必要な事業を行う場合に、その業務が鉄道事業のように企業的経営になじむものであり、通常の行政機関に担当させても各種の制度上の制約から能率的な経営を期待できないときに、出来る限りの経営の自主性と弾力性を認めて能率的経営を行わせるために、特別の法律によって設置する組織を特殊法人といいます。

 こうして設立された交通営団でしたが、同年12月8日に太平洋戦争が勃発し、資材や人材が不足したため新線建設工事は遅々として進まず、結局1メートルたりとも開業させることはできませんでした。

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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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