空自ジェット偵察の始祖「RF-86F」元は倉庫にあった余剰機 パイロットよく頑張った15年
航空自衛隊が初めて手にしたジェット偵察機のRF-86F。これはアメリカから供与されたものではなく、日本人が倉庫に眠っていた中古機を改造して作り上げたものでした。なぜそうなったのか、誕生の背景を探ります。
改造機からはじまった空自偵察60年の歴史
2021年12月現在、航空自衛隊には有人偵察機が存在しません。かつて航空自衛隊には偵察航空隊第501飛行隊があり、そこではマグダネル・ダグラスF-4「ファントムII」の偵察型であるRF-4EとRF-4EJを運用していましたが、「ファントムII」の機数減少とともに2020年3月、部隊は廃止され、最後まで残ったRF-4EとRF-4EJも用途廃止になっています。
ただ、一方で1年後の2021年3月には、無人偵察機ノースロップ・グラマンRQ-4B「グローバルホーク」を運用する「臨時偵察航空隊」が青森県の三沢基地に編成されました。無人航空機とセンサー類の発達が偵察戦術を大きく変えたのです。
このように現在、大きな変化を見せる航空自衛隊の偵察部隊ですが、その歴史は今から60年前の1961(昭和36)年、ノースアメリカンF-86F「セイバー」戦闘機を改造した偵察機・RF-86F「セイバー」からはじまりました。
そもそも、航空自衛隊には当初、偵察部隊はありませんでした。しかし1960(昭和35)年頃になって、その必要性が高まってきます。
とはいえ予算には限りがあり、新型偵察機を購入するといった形は望めません。そこで倉庫に眠っているF-86F戦闘機を改造することとなります。その改造の過程でアメリカまで認めた日本人技師のアイデアが盛り込まれました。
災害派遣での出動では、RF-4Eの時代でしたが有珠山噴火の際に火口を上空から撮影し、百里で現像後T-4で千歳に輸送、北大に引き渡す作戦をニュース番組で放映してました。
グロホの運用ではどう対応するんでしょうね。
アメリカ空軍から州軍航空隊へ譲渡されて、その余剰分が来た感じかなぁ、という印象を得ました。州軍航空隊でもいらないという戦闘機をリサイクルしたのではないかと。
航空自衛隊では、1982年まで使用されていたというのですから、これも息の長い戦闘機ですね。