空自ジェット偵察の始祖「RF-86F」元は倉庫にあった余剰機 パイロットよく頑張った15年

ファインダーがない、カン頼みの写真撮影

 航空自衛隊には、アメリカからの供与分と三菱重工でのライセンス生産分、合わせて約480機のF-86Fが引き渡されています。そのほとんどは「F-86F-40」と呼ばれるタイプでしたが、30機だけ「F-86F-25」「F-86F-30」という主翼や計器盤の設計が違うモデルが混ざっていました。なぜ30機だけ違う仕様の機体があったのか、それはこれらがアメリカ空軍の中古機だったからです。

 よほど詳しくないと見分けがつかないわずかな違いです。しかし操縦手順や飛行性能が違うため、扱いにくいことから早々に第一線部隊から引き上げられ、これら中古機は木更津補給処(千葉県)の格納庫にしまわれてしまいました。

 いわば、RF-86Fはこれら引き取り手のない機体の再利用という形だったと言えるでしょう。中古機の改造ゆえに予算もそれほどかからず、装備をそろえることが可能というわけです。

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現役時代、埼玉県にある入間基地のエプロンでF-86F戦闘機(機番944)と並ぶRF-86F偵察機(機番430)。機首のふくらみの有無が確認できる(画像:航空自衛隊)。

 こうして生まれた偵察機RF-86Fは、1961(昭和36)年に松島基地(宮城県)で編成された「501飛行隊」に納入されたのち、入間基地(埼玉県)へ移動して任務を開始します。

 RF-86Fは、機関銃を外した機首のスペースに焦点距離の異なるカメラ3台を垂直に装備しました。ただ、カメラを搭載するには機関銃を外しただけでは容積が足りなかったことから、その部分の外板には大きなふくらみが設けられました。そのため、この部分が偵察機型RF-86Fと戦闘機型F-86Fの外観上の識別点となっています。

 RF-86Fで驚かされるのは、なんと撮影対象をのぞくファインダーがなかったこと。そのため、シャッターを切るタイミングはパイロットの「職人的カン」が頼りでした。さらにレーダーやINS(慣性航法装置)もないため、操縦も航法も撮影もパイロット一人で全部こなさねばならず、大変だったと言われています。

 ちなみに、のちに航空自衛隊が装備したRF-4E「ファントムII」偵察機では、赤外線カメラ、側方偵察レーダー、INS、長距離通信可能なHF無線機、レーダー警報受信機などを装備しており、RF-86Fとは真逆の充実っぷりとなりました。

【イラストで解説】空自RF-86Fが搭載したカメラと撮影方法

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コメント

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2件のコメント

  1. 災害派遣での出動では、RF-4Eの時代でしたが有珠山噴火の際に火口を上空から撮影し、百里で現像後T-4で千歳に輸送、北大に引き渡す作戦をニュース番組で放映してました。
    グロホの運用ではどう対応するんでしょうね。

  2. アメリカ空軍から州軍航空隊へ譲渡されて、その余剰分が来た感じかなぁ、という印象を得ました。州軍航空隊でもいらないという戦闘機をリサイクルしたのではないかと。
    航空自衛隊では、1982年まで使用されていたというのですから、これも息の長い戦闘機ですね。