空自ジェット偵察の始祖「RF-86F」元は倉庫にあった余剰機 パイロットよく頑張った15年
唯一の「実戦」、災害派遣で活躍
RF-86F偵察機は装備こそ貧弱だったものの、操縦性能は優秀なF-86F戦闘機そのままだったと言います。こうしてRF-86Fは、自衛隊唯一のジェット偵察機として陸海空自衛隊の演習協力、地図作成、災害派遣などでよく働きました。
特に唯一の「実戦出動」である災害派遣での活躍は目ざましく、1963(昭和38)年の「38豪雪」、1964(昭和39)年の「新潟地震」、1967(昭和42)年の「羽越水害」、1972(昭和47)年の「昭和47年7月豪雨」、1974(昭和49)年の「伊豆半島沖地震」など、地震、風水害、山火事などにおける被害状況の把握に大いに役立ったという記録が残されています。
なお、当時は年2回、関東大震災級の災害を想定した「緊急出動訓練」も行っていたそうです。
このようにRF-86F偵察機は、1977(昭和52)年にRF-4E「ファントムII」偵察機と交代するまでの15年間、自衛隊にとって唯一かつ貴重な偵察戦力として活動し続けました。
ちなみに前述したようにRF-86Fは偵察用カメラを搭載するために機関銃を外していますが、機首には「銃口」がありました。とはいえ、実はこれ、ペンキで描かれたダミー。敵に戦闘機と勘違いさせるために描かれたそうです。
この「銃口」にどれだけの効果があったのかは不明です。しかし戦争に巻き込まれなかったRF-86Fにとって、その答えが出なかったのは幸いだったのではないかと筆者(リタイ屋の梅:メカミリイラストレーター)は思います。
【了】
Writer: リタイ屋の梅(メカミリイラストレーター)
1967年生まれ。「昭和30~40年代の自衛隊と日本の民間航空」を中心に、ミリタリーと乗りもののイラスト解説同人誌を描き続ける。戦後日本史も研究中。
災害派遣での出動では、RF-4Eの時代でしたが有珠山噴火の際に火口を上空から撮影し、百里で現像後T-4で千歳に輸送、北大に引き渡す作戦をニュース番組で放映してました。
グロホの運用ではどう対応するんでしょうね。
アメリカ空軍から州軍航空隊へ譲渡されて、その余剰分が来た感じかなぁ、という印象を得ました。州軍航空隊でもいらないという戦闘機をリサイクルしたのではないかと。
航空自衛隊では、1982年まで使用されていたというのですから、これも息の長い戦闘機ですね。