5年52隻の大計画! 米軍の大姉妹「クリーブランド級軽巡」の“数は力なり”思想
第2次大戦中のアメリカは戦車や戦闘機、そして空母についても他国とはケタ違いの数を製造しました。同じことは巡洋艦も。日米開戦からわずか5年で27隻も造られ、戦後もミサイル搭載艦として運用されたアメリカ軍艦について見てみます。
5年間で27隻も建造された1万トン級軽巡
第2次世界大戦時、アメリカは「デモクラシーの兵器工場」として、戦車や航空機に始まり、輸送船、高速魚雷艇(PTボート)に至るまであらゆる兵器を大量に生産していました。しかも、その量産は大小の空母にまで至っており、護衛空母と呼ばれる低速の小型空母に至っては、毎週のように新造艦が就役するほどでした。
アメリカの凄まじいところは、そのように空母を大量生産していながら、同じペースで駆逐艦や巡洋艦も造っていた点です。なかでも筆者(白石 光:戦史研究家)が注目しているのが、クリーブランド級軽巡洋艦。このクラス、排水量1万トン越えの大型艦ながら1940(昭和15)年から1945(昭和20)年までのわずか5年間で27隻も完成しています。しかも、計画時点では52隻、これだけ大量の巡洋艦をアメリカは建造しようと準備していたのです。
同時期の日本がわずか5隻の軽巡洋艦しか新造できなかったのと比べると、その差は約5倍。しかも、この27隻以外に本級の船体9隻分が軽空母へと転用されているので、船体の建造だけで考えれば36隻となり、差は約7倍に広がります。このことからも、クリーブランド級がいかに「量産」されたかがわかります。
ただ、アメリカもいきなりクリーブランド級の大量生産に着手できたわけではありません。ひも解くと、端緒は第1次世界大戦と第2次世界大戦の狭間の時期、いわゆる「戦間期」と称される時代にありました。
コメント