エンジンほぼ戦闘機! 超短命のJAL 2機種目のジェット機「CV880」 なぜコンベアの“じゃじゃ馬”を?
実はコンベア機、日本じゃ定番だった?
コンベア880により、コンベア製旅客機は“ぶっ飛んだ”印象を持たれがちですが、実は同社、プロペラ機の分野では手堅い造りとなっており、日本の航空会社にも重用されるなど、深い関係性をもっていました。
第二次世界大戦後の我が国の民間航空界では、ダグラス社DC-3に続くプロペラ旅客機として、CV-240が北日本航空、富士航空、日東航空、東亜航空、南西航空などで導入され、17機がローカル路線を中心に就航しました。この大型派生型である「CV-440」は1959(昭和34)年に全日空(ANA)が導入。ちなみにCV-440、「当時国内最速の機種だったことも画期的で、それまでは名古屋経由だった東京/大阪便を直行便化、一気に50分も短縮しました」(ANA)と、こちらも“スピード推し”の旅客機だったそうです。
日本航空がコンベア880を「ジェット・アロー」と名付け導入した1961年、全日空でも、歴史上重要な新型機が国内線に導入されます。ターボ・プロップ・エンジン搭載のビッカース社「バイカウント」です。機内は与圧されてあり、「タバコの箱が倒れない」という振動のなさや静粛性、快適性を宣伝文句に、国内幹線で活躍。ANAも同機を「この機種を導入した頃から、全日空は爆発的に輸送力を増強していきます」と紹介します。
JALでは、国内線にダグラス社のプロペラ機を使用していたものの、最新鋭のバイカウントには対抗できず乗客を奪われるおそれがあったわけです。そこでコンベア880を使用することで、再び優位に立つことを目指したのでしょう。
ただJALのコンベア880はその後、国内線向けのボーイング727の導入、DC-8が国内線へも転用されたほか、9機のうち3機が事故損失となり、1970(昭和45)年には全機引退。導入からわずか10年弱、退役までのスピードも“速かった”旅客機となってしまったわけです。
なお、コンベア社は1953(昭和28)年、ジェネラル・ダイナミクス社に吸収されましたが、民間機の「CV-」という型式名称はそのまま引き継がれました。ちなみに、コンベア社という名称は、物を移動するためのベルト・コンベア(conveyor system)とは関係なく、綴りも異なります。B-24などを製造していたコンソリデイテッド社(アメリカ)と、XP-54などを製造していたバルティー社が合併し、コンソリデイテッド・バルティー社が誕生。この社名が短くなり「コン・ベア社」となりました。
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