「JALのCA覚えてるよ!」 超マイナー特殊空港「モーゼス・レイク」 日本との深い関わり
モーゼス・レイク出身者が語るJALの存在
高松大学で教鞭をとるロジャー・ウィリアムズ教授は、モーゼス・レイク出身です。彼は「町にとって1968(昭和43)年から長らく訓練所を設置していたJALの存在は大きかった。小学校在学中はいつも同じクラスにJAL職員の子供たちがいて一緒に勉強した。」と当時を振り返り語ってくれました。開設当初はコンベア880の訓練が行われ、のちにはボーイング747型機の訓練も行われています。
1970年代に入ると、JALはボーイング747型機を使用してモーゼス・レイク市内の小学校5年生を対象に毎年、体験搭乗を実施していました。このフライトには特別に日本からフライト・アテンダントを派遣し乗務させるほど、会社として力を入れていた催しでした。
これについて前出のウィリアムズ教授は、「招待された小学生にとってJALのフライト・アテンダントは人気の的で、まるで映画スターのようだった。機内で配られた搭乗記念品にサインを求める生徒も多く、サインとともにハンコをもらった生徒もいた」と思い出を話してくれました。
ただ、そのJALも2009(平成21)年3月をもって訓練所を閉鎖。41年間の長きにわたるモーゼス・レイク空港での操縦訓練を終了します。
ただ、その後も日本との縁は続きます。2016(平成28)年から5年間にわたり、三菱重工(三菱航空機)製のリージョナルジェット機「スペースジェット(旧称MRJ)」が型式証明の取得を目指して各種試験飛行を同地で行っていました。
こうして見てみると、モーゼス・レイク空港(グラント郡国際空港)は日本人で知っている人は少ないものの、とてもなじみのある飛行場であることがわかるでしょう。
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