兵装てんこ盛り… 重巡洋艦「摩耶」竣工-1932.6.30 後に主砲撤去し“防空”巡洋艦へ

対空はバッチリ 対潜は…?

 修理のために横須賀へ来航した「摩耶」は、第3砲塔の撤去とともに12.7cm連装高角砲を2基増設。これにより元々搭載していた高角砲とあわせ合計6基に増強しました。

 この高角砲は高速で移動する航空機を狙うために、目標との距離を測る測距機と機械式計算機からなる高射装置とが連動して照準を助け、装填直前に自動的に砲弾炸裂のタイミングを設定できるなど高度な機能を持っていました。さらに25mm3連装機銃を13基39挺、対空用の電探(レーダー)も装備するなど、戦艦や正規空母並みに対空兵装を強化します。

 1944(昭和19)年6月、「摩耶」はマリアナ沖海戦に参加。しかし日本は空母3隻などのほか航空機も400機以上を喪失し、大敗北を喫します。ただ、「摩耶」が至近弾による小破にとどまったのは、強力な対空砲火が奏功した結果かもしれません。

 続いて10月、史上最大の海戦とも称されるレイテ沖海戦に参加しますが、これが「摩耶」の最期となります。空母機動部隊が“囮”となってアメリカ軍をレイテ湾の守備から遠ざけ、手薄となったところへ「摩耶」を含む艦隊が殴り込みをかけようとしたのです。

 23日早朝、フィリピン西部のパラワン付近を航行する艦隊に、アメリカ潜水艦が魚雷を発射。「摩耶」は左舷に4本の命中魚雷を受け、ほどなく沈没してしまいます。一連の雷撃によって僚艦「愛宕」も沈没、「高雄」は大破しました。

 生き残った「摩耶」の乗員は戦艦「武蔵」に収容されます。しかし「武蔵」も翌24日、アメリカ艦載機による集中攻撃を受け沈没しました。対航空機を多分に意識し、対空火器を増強したにもかかわらず海中から攻撃を受けたことは、なんとも皮肉です。

 それから75年。「摩耶」はマイクロソフト社を創業した故ポール・アレン氏の調査チームによって、2019年4月19日にパラワン島沖で発見されます。水深1850mの海底に眠っていましたが、雷撃によって浸水沈没したせいか、構造物は往時の面影をよく残しているようです。

【了】

【写真】パワーアップする契機に… 空襲を受ける「摩耶」

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