73年前でジャンボ・ジェットより巨大! 怪鳥プロペラ旅客機「ブラバソン」の伝説 機内に映画館!?

「ブラバゾン」、どう開発されどうなった?

 イギリスでは、第二次世界大戦中の1943年に、大戦終了を念頭にブラバゾン委員会を立ち上げました。これは、戦時下は戦闘機の開発に集中していた同国が、戦後の旅客機開発においても世界の先陣を切ろうと立ち上がった国家的プロジェクトで、大西洋を横断できる大型プロペラ旅客機、最新鋭の技術となるジェット旅客機など、5項目の機種を開発すべく、検討を進めていくものでした。

 今回の主題である巨大プロペラ旅客機「ブラバゾン」はこの「大西洋を横断できる大型プロペラ旅客機」のカテゴリで開発されたものであり、そのモデル名も、同プロジェクト・そして委員長であるブラバゾン卿の名前にちなんだもの。同委員会がこの機の開発に、どれほど注力していたかがうかがえます。

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ブリティッシュエアウェイズのボーイング747。現代の巨大機としてもっとも広く知られるモデルのひとつだ(画像:ブリティッシュエアウェイズ)

「ブラバゾン」の初飛行はフィルトン飛行場で実施されました。同飛行場では同機のために特設の滑走路が作られたそうです。観衆は報道関係者をはじめ1万人と記録されており、なかには、あまりに規格外の旅客機ゆえ、飛ぶことができないのでは……という意見も多かったのだとか。そのようななか、滑走路の半分も使い切らずにいとも簡単に飛び立ち、そういった論調を覆すことに成功しました。

 このように初飛行に成功した巨大機「ブラバゾン」でしたが、完成したのは試作1号機しかありません。莫大な資金を投入したにも関わらず、航空会社側からの購入意思は得られまず、量産には至らなかったのです。試作機もわずか400時間しか飛んでいなかったにもかかわらず、1953年10月に分解されたと記録されています。

 とはいえ、この「ブラバゾン」開発のために建設された格納庫などのインフラ施設は、ブリストル製ターボプロップ機「ブリタニア」など後発の新型機開発にも活かされることになったほか、その設計ノウハウも「ブリタニア」、そして世界初の量産ジェット旅客機であるデ・ハビランド「コメット」へと活かされることになったのです。

【了】

【写真】でけえ…怪鳥プロペラ旅客機「ブラバゾン」の全貌など

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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