大富豪の道楽? 超巨人機「ハーキュリーズ」そして伝説へ-1947.11.2 なぜ最初で最後の飛行に
生みの親ヒューズが嫌った愛称「スプルース・グース」
しかし、規格外の巨大飛行艇の開発は難航します。当初の予定では10か月で機体を完成させるつもりでしたが、そのスケジュールは大きく遅延。結果、1944(昭和19)年にはカイザーが計画から撤退したことで、以降の開発はヒューズとその会社が単独で行うことになり、名称もH-4「ハーキュリーズ」に変更されました。
機体の製造が進み飛行機としての形になったのは契約から約4年経った1946(昭和21)年6月のこと。テストを行うカリフォルニア州ロングビーチのドックで最終組立が行われます。ただ、その後に飛行艇として飛ばすための細部の調整に長い時間が必要であり、この機体の組み立てが終わり機体を水面に浮かべられたのは、さらに1年以上も経った1947(昭和22)年11月のことでした。
完成したH-4「ハーキュリーズ」は、出力3000馬力のプラット・アンド・ホイットニー製R-4360レシプロエンジンを8基も搭載。それで駆動するプロペラは4枚羽根で、その直径は5.2mもありました。胴体内部は3層構造になっており、最上段はコックピット、最下層は燃料タンクなどが設置されています。
さらに驚くべき点は構造材で、これほどの大型機であるにも関わらず、本機には木材が多用されていました。これは本機が戦時下で開発されたため、厳しい物資制限によって当時、航空機の主要材料であったアルミニウムが使えなかったからです。そのため、新聞などでは「スプルース・グース」というニックネームで呼ばれることもありました。スプルースとはマツ科の針葉樹のひとつで、要約すれば「木製のガチョウ」という皮肉めいた名前となります。
加えて、完成までに多大な時間が費やされた結果、世間の注目度に比例するかのようにネガティブな印象が増えており、この飛行艇が実際に飛べるかを疑問視する声も多かったようです。前出の「スプルース・グース」というあだ名も、当時の世相を反映したものといえるのかもしれません。ちなみにヒューズ自身はこのあだ名を嫌っていたそうです。
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