大富豪の道楽? 超巨人機「ハーキュリーズ」そして伝説へ-1947.11.2 なぜ最初で最後の飛行に
初飛行の時間はわずか30秒
ネガティブな横やりは政界からも入れられており、1947(昭和22)年7月にはヒューズ自身がアメリカ議会の国防計画調査委員会の公聴会に召喚され、H-4「ハーキュリーズ」を含めた一連の軍用機開発について、軍部と癒着しているのではないかとの嫌疑が掛けられました。
これはヒューズ個人が疑われたというよりも、戦時下での兵器調達の問題点がアメリカ議会での政争の具として利用された事の方が大きく、実業家として世間の知名度が高かったヒューズがそのやり玉に挙げられたという側面もあったようです。
ただ、強烈な個性の持ち主で自信家でもあったヒューズは公聴会で議員の質問に対抗し、その過程で「(ハーキュリーズで)もし失敗したら、私はこの国を離れて二度と戻ってこないでしょう」と宣言してしまいます。こうして、H-4「ハーキュリーズ」の初飛行は、開発計画だけでなく一人の実業家の運命をも左右することになりました。
こうした外野の騒ぎをよそに、1947(昭和22)年11月2日、H-4「ハーキュリーズ」は初飛行に成功します。操縦桿を握っていたのは、この機体の飛行達成に自らの人生を掛けたヒューズ自身でした。
しかし、この時の飛行記録は高度25フィート(約7m)で飛行距離はわずか0.5マイル(約800m)、飛行時間は30秒程度という短いもの。しかも、これ以降「ハーキュリーズ」が空を飛ぶことはありませんでした。
そのため、同機が航空機として実用性を持ち合わせていたのかについては疑問を呈する意見も多く、この機体に対する評価が定まっていない一つの理由にもなっています。
とはいえ、前述した巨体ゆえに今でもその名を航空史に刻み続けているのも確かだといえるでしょう。2022年現在、H-4「ハーキュリーズ」はオレゴン州にあるエバーグリーン航空博物館にて屋内展示されています。
世界最大の水上機は館内の中央にまさしく「鎮座」する形で公開されており、現地で見るとその存在感に圧倒されることは間違いないでしょう。
【了】
※一部修正しました(11月2日7時45分)
Writer: 布留川 司(ルポライター・カメラマン)
雑誌編集者を経て現在はフリーのライター・カメラマンとして活躍。最近のおもな活動は国内外の軍事関係で、海外軍事系イベントや国内の自衛隊を精力的に取材。雑誌への記事寄稿やDVDでドキュメンタリー映像作品を発表している。 公式:https://twitter.com/wolfwork_info
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