エアバス「A330」はなぜ売れた? 最初は売れ行きイマイチも「こっちの方がいいじゃん」になったワケ

最初はイマイチもその後逆転…A330はなぜ売れた?

 これらの2機種でエンジン数を選べるようにしたのは、当時の旅客機の長距離の洋上飛行におけるルールが背景にあります。

 当時の双発機は、まだエンジンの信頼性が低いとみなされており、洋上での飛行ルートに制限がありました。エンジンを3発以上積んでいれば、その規制を受けずにすみ、太平洋・大西洋路線にも問題なく投入できます。

 このようななか、1985年にボーイング767は、双発機で初めてこの制限を超える能力を持つと認められる認定「ETOPS」を取得しましたが、まだこの認定がスタンダードなものとはいえず、実現までに多くの時間を要しました。そのためパイロットも同じ免許で運航でき、設計的にも大きく共通性をもたせた仕様とし、長距離路線ではA340を、中・短距離路線ではA330を用意することで、航空会社のニーズに応えたのです。

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ルフトハンザ航空のA340-300(乗りものニュース編集部撮影)。

 ただ、最初はA340のほうが顧客からの反応も堅調で、エアバスもそれをうけ、A340を先行して開発することになりました。ところが、1990年代に入ると、ボーイングの777をはじめ、双発機が「ETOPS」を取得して長距離洋上飛行をすることが一般的になりました。

 そうなるとエンジン数が少ない分、燃料消費量が低く抑えられる双発機を長距離便に利用することも増えます。A330は運航実績を積み重ね「ETOPS」も取得。航続距離的にも長距離に対応できつつ(より長く飛べる派生型もあり)、客席数もボーイング777(400席級)ほど大きすぎず、使い勝手が良い――つまり航空会社が路線ネットワークを張るうえで、“痒いところに手がとどく旅客機”として年を追うごとに売れる旅客機になったのです。

 A330シリーズの製造はまだ続いています。現在エアバス社では、新エンジンの搭載や主翼の設計変更などで低燃費を実現した新世代機「A330 neo(New Engine Option)」を主力商品のひとつとしており、これからも引き続き製造されることとなります。

【了】

【写真26枚】異形の魔改造&見覚えある塗装…さまざまな姿をしたA330たちをイッキ見!

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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