平成まで"鉄道税"が存在した!? 「列車に乗ると課税」のカラクリと顛末 増税反対で「焼き討ち」も

課税対象と税額 時代とともに「千変万化」

 通行税の歴史は日露戦争中の1905(明治38)年1月、戦費調達のための臨時増税「非常特別税法」のひとつとして制定されたことに遡ります。制定当初の通行税は、座席の等級と利用距離に応じて決められており、例えば50マイル(約80km)未満は3等車が1銭、2等車が3銭、1等車が5銭、200マイル(約320km)以上では3等車が4銭、2等車が25銭、1等車が50銭でした。時代によっても異なりますが、2等車の運賃・料金は3等車の概ね2倍、1等車は3倍前後といった比率でした。

 3等車とは一般車です。つまり山手線や路面電車など、日常的な利用でも一定額の課税が行われることになりました。東京の路面電車3社は翌年の1906(明治39)年に3銭均一から5銭均一への値上げを申請しますが、これに反対する市民が暴徒化し電車の焼き討ちを行う事態にまでなりました。

 1910(明治43)年に通行税法が制定され、通行税は臨時増税から恒久税化されました。しかし都市部の近距離旅客が税収入の大部分を負担する公平性を欠いた税制という指摘があり、1926(大正15)年の税制改正で通行税法はいったん廃止されます。

 しかし日中戦争が勃発すると1938(昭和13)年、再び通行税は戦費調達のための臨時増税として復活し、1940(昭和15)年に通行税法が再び制定されます。新たな通行税は短距離(1938年度は50km未満)であれば3等運賃は非課税とされました。

 従来の通行税は3等、2等、1等運賃でそれぞれ異なる1kmあたりの課税額が決められていましたが、1948(昭和23)年の税制改正では等級の区別なく運賃に対して5%、急行・準急料金および寝台料金に対して20%を課税する形になります。

2年後の1950(昭和25)年、3等車は寝台料金を除いて再び非課税とされた一方、1等・2等については運賃・料金の税率が全て20%に統一されました。つまり、運賃への課税率は元の5%から大幅に上昇した格好です。

 1960年代に入ると通行税の性格が変わってきます。国鉄が1960(昭和35)年に1等車を廃止し、1等(旧2等)・2等(旧3等)の2等級制に移行すると、課税対象は1等運賃・料金のみとなり、さらに1962(昭和37)年の改正で10%に減税されました。

 国鉄は続いて1969(昭和44)年に等級制を廃止して1等車をグリーン車、2等車を普通車に変更します。ひとつの運賃・料金体系にまとめられ、「グリーン車を利用する場合は別途グリーン券を購入する」という現在の形態に改められました。これにより統一された運賃、急行・特急料金は非課税となり、特別車両であるグリーン料金とA寝台料金(旧1等寝台)のみ課税の対象となりました。

 こうして「ぜいたく税」としての役割だけが残された通行税ですが、先述のとおり現在は存在しません。しかし消費税率は現在10%、鉄道だけでなく全ての交通機関の利用に通行税が課されているような状況とも言えるでしょう。

【了】 

【戦前の資料にある「通行税」の一覧表】

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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