東久留米 東松山 東大和…西武と東武の「東ナントカ」駅と地名の謎 不本意? 市民が望んだ?
東大和市駅(西武拝島線)/東京都東大和市
東村山市や武蔵村山市に隣接する東大和市は、村制施行時、政争が盛んだった6村が「大いに和して」一つになるとの意味を込めて「大和村」という名称で合併・成立したのが始まりです。実はこのように、争いを経て、本来の地名と関係ない「大和」に落ち着いた事例は全国に複数あり、神奈川県大和村(現・大和市)、埼玉県大和町(現・和光市)も同様の理由で成立しています。
戦後に3つの中で最初に市制を施行したのは「神奈川県大和市」です。駅名はもともと「大和」で変更ありませんでした。東京都大和町と埼玉県大和町は、同じ1970(昭和45)年に市制施行となったものの、埼玉県大和町は新市名を公募し「和光市」に決定。東武東上線の「大和町」駅も少し遅れて「和光市」駅へと改められました。
東大和市は市名の由来について「東京の大和市」という意味だと説明しています。なお、駅名はもともと野火止用水をまたぐ青梅街道の橋にちなみ「青梅橋」駅でしたが、青梅に行く人が間違えて下りるケースがたびたびあったとか。市から駅名変更を西武鉄道に要請し、東大和市の成立から9年後の1979(昭和54)年、「東大和市」駅になっています。
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こうしてみると、「武州松山」や「東久留米」など、駅名が最初から既存駅との混同を避けて名称を区別しており、あとから地名が成立し、その過程で「東●●」に落ち着いたケースが多いといえるのではないでしょうか。
【了】
東長崎と東川町(旭川近辺)が漏れとるぞ。