横浜の名物船「ロイヤルウイング」買った意外すぎる企業たち 6度もオーナー変わった波乱万丈の半生

“一寸先は闇” だったバブル景気

 売却先が見つからない旧「くれない丸」は長い間、佐世保重工業の敷地片隅で係船状態に留め置かれていました。ただ、そうして時間が過ぎるうちに日本の景気が好転します。その影響を受け、旧「くれない丸」はレストラン船に転用されることとなり、船名を「ロイヤルウイング」へと変更。運航を担う新会社として1988年10月に「ニッポンシーライン」(吉本日出夫社長)も設立されました。

 こうして、横浜港を舞台にウォーターフロントの夜景を眺めながら、ゆったりと高級料理に舌鼓を打つことが出来る新しい存在へと生まれ変わることになったのです。

 レストラン船として運航するに当たり、既存の客室は全て撤去。コース料理中心のメインダイニングのほか、フェミリー層向けのレストランや寿司割烹なども設けられます。出来立ての料理を提供するため、船内にはキッチンを2か所設け、そこで調理する方式を採用しました。「ロイヤルウイング」は1988年11月に佐世保重工で改造を完了。 横浜へ回航され、12月1日の運航開始を待つばかりとなりましたが、諸事情により就航が遅れます。 結局、関東運輸局からクルーズ事業の許可が下りたのは1989年2月28日のことでした。

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2023年5月14日の「ロイヤルウイング」ファイナルクルーズを告知するポスター(深水千翔撮影)。

 当時はいわゆるバブル景気の真っ只中。空前の好景気ということで高級志向が当たり、個人・団体問わず多くの利用客に恵まれたそう。しかし、ほどなくしてバブルが崩壊すると、日本は長い不況期に突入します。このあおりを受け「ニッポンシーライン」も業績が低迷、1993年12月に営業を取り止めました。

 残された「ロイヤルウイング」に目を付けたのは、名鉄グループで名古屋~仙台~苫小牧間のフェリーを運航している太平洋フェリーでした。同社はフェリーのような定期航路でもクルーズ船並みのサービスを提供することを目指し、船内でのエンターテイメントにも力を入れています。

 太平洋フェリーは子会社として「横浜ベイクルーズ」(伊藤午一社長)を設立。「ロイヤルウイング」を三菱重工業横浜製作所に入渠させてリニューアル工事を施し、1995年3月に横浜港・大さん橋からの運航を再開します。料理の金額は時代に合わせてリーズナブルな価格帯へと変更。「ロイヤルウイング」の目玉の一つであるバイキング形式のサービスは、この太平洋フェリー時代に始まりました。当時は屋上デッキでサンバを踊ったり、夏季にはビアクルーズを行ったりしていたそうです。

 ただ、その太平洋フェリーも経営資源をフェリー航路へ集中するため「ロイヤルウイング」を手放します。

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コメント

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1件のコメント

  1. 約50年前に家族旅行で神戸別府間で乗船しました。
    美しい船なのでどこかで再登板して欲しいですが難しいでしょうね…
    さんふらわあくれないも同じように愛されて長くの活躍を祈ります。