どうしてこんなに地味なんだろう「JR草津線」 国鉄型も静かに消えた京都の近郊線 実は“134歳”
長く残った国鉄型電車113系と117系の引退で話題になったJR草津線。しかし鉄道ファンが現地に殺到することもなく静かに消えていきました。京都の近郊路線でありながら、どうにも地味な同線、実は深いバックグラウンドを持っています。
草津で生まれた日本の旅行業
もう1つは、東海道本線との分岐点となる草津駅です。実は、草津駅前は「日本の旅行業発祥の地」でもあるのです。
江戸時代に東海道と中仙道の交わる宿場町として栄えた草津の街は、明治になると、東海道本線と関西鉄道の接続する乗換駅として再び人の交わる場所へと変貌していきます。
そんな草津駅で開業以来、駅弁を販売していた南 新助という人物がいました。駅付近の大地主の1人で、駅構内や駅前に飲食店を開くなど手広く事業を広げていきます。
南は、1905(明治38)年、高野山と伊勢神宮への参拝ツアーを企画し、県内各地から900人が参加しました。大勢の人を集めれば運賃が半額になる制度を活用した形です。これが日本の団体旅行、旅行斡旋事業の始まりとされています。1908(明治41)年には貸切列車で関東や善光寺を巡る旅も実施しています。団体列車の企画運行も国内初となります。
南家の旅行事業は戦後、全国に展開をしていき、現在、旅行業界大手の日本旅行となっています。
創業家一族のうち、南グループ(日本観光開発)は草津駅西口でホテルを営むなど幅広い事業を行い、代表者は日本旅行の主要株主にも名を連ねています。
その親戚筋の営む南洋軒グループも草津駅前に店を構え、あんころ餅の和菓子「うばがもち」を販売しています。日本旅行草津店が草津駅東口にある第2南洋軒ビルに入居しているのも明治以来のご縁なのでしょう。以前は「日本旅行 発祥の地」との看板を店に掲げていました。
ちなみに、草津駅改札口前の南洋軒では、うばがもちと一緒に、近江牛すき焼き弁当などの駅弁を販売しています。日本鉄道構内営業中央会に加盟しているのも長い歴史ゆえです。草津線電車は全便、転換クロスシート車なので、お弁当を買って乗り込めば、ちょっとした旅気分を味わえるかもしれません。
【了】
Writer: 森口誠之(鉄道ライター)
早稲田大学卒業後、出版社編集部を経てフリーランスジャーナリストとして独立。国内外の自動車や道路、公共交通などを取材し各種メディアや講演で発表。近年は自動運転、MaaS、スモールモビリティに注力。モビリティやまちづくりのリサーチ・コンサルティングを担当する株式会社モビリシティ代表取締役も務める。著書に『パリ流環境社会への挑戦』(鹿島出版会)、『MaaSで地方が変わる』(学芸出版社)など。
阿下喜
地味だと思っているのは東京人だから。
そもそも「東海道本線草津駅」って時点でアウト。