乗客も駅員も荒みきった鉄道「暗黒の4年間」の実態 1945~1949 "地獄"は戦後に訪れた

混雑に混乱 ピリピリした「殺伐の鉄道風景」は現代の想像を超える

 1946(昭和21)年12月には、列車内で乗客整理を手伝っていた尾久駅所属の20代操車係が、あまりの混雑で気分が悪くなってしゃがんでいたところ、大宮駅で人波に襲われそのまま死亡するという痛ましい事故も発生しています。

Large dss

拡大画像

1947年ごろの東京の街角(画像:東京都)。

 おんぶした赤ちゃんが車内混雑で圧死してしまった母親が過失致死罪で逮捕されたというニュースに関して、投書欄では「生活のため子どもと乗車せざるを得なかったのに『混雑時に乗った方が悪い」」というのはおかしいという声が上がる一方、「混雑を放置したままなぜ運行したのか」と鉄道の責任を追及する声、車内で「子どもがいるから押さないで」とアピールして同情を誘う「非常識な母」を非難する声など、地獄のような「マナー論争」が繰り広げられる有様です。

 また1945(昭和20)年12月に労働組合法が公布されると、1946(昭和21)年2月に「国鉄労働組合」が結成され、早速月末にサボタージュ闘争を繰り広げます。その結果、山手線が一周に4時間を要する事態となり、乗客は激怒。乗務員に暴行し、駅事務室を襲撃、電車に投石する騒ぎとなりました。

 殺伐とした雰囲気は至るところに漂っていました。同年9月20日付読売新聞は「乗客を殴り殺す 田町駅の改札係」として、19日昼に40代乗客と20代駅員が口論になり、乗客に頬を殴られた駅員がカッとして殴り返したところ、乗客はコンクリートに頭を強打。搬送先の病院で死亡したと伝えています。

 また終戦からちょうど2年が経過した1947(昭和22)年8月15日付朝日新聞は、東海道線内で制服制帽の男が乗客から現金3万円などを盗み、沼津駅で下車したが駅員に捕まった事件を報じています。なんとこの男、東京車掌区所属の本物の車掌で、しかも鉄道司法警察官吏(後の鉄道公安)を兼務していましたが、非番でも制服を着用し、悪事に手を染めていたのです。

 さらに同年、川崎から宮城に向かう貨物列車の行先を、貨物駅員らが勝手に山形に書き換えて10両分の硫酸アンモニア(肥料)を奪い取ろうとし、6人が逮捕。おまけに北陸線ではヤミ米を積み込んだ機関車が立て続けに発見され、運転士らが逮捕されています。

【画像】えっ…! これが「終戦直後の東京の電車」です

テーマ特集「【記事まとめ】昔の鉄道風景は驚きだらけ!? あの路線の意外な歴史、幻に消えた鉄道計画も…知るほど奥深い「鉄道考古学」の世界」へ

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

3件のコメント

  1. 読み応えのある、社会派の記事をありがとうございます。
    1点、「品川発岐阜行」が「京都-吹田間を走行中」とある箇所、駅名に誤りかあるように思われますが……。
    ご確認くださいませんでしょうか。よろしくお願いいたします。

  2. なんでもいいですけど、最近写真ページへの誘導で「えっ……、これが〇〇です」っていうテンプレ(?)使うのが流行ってるんですかね。
    文章のぎこちなさが一時期のDMMゲー広告みたいでこれはこれで趣深いんですが、折角の素晴らしいルポを読んでいてもテンプレ丸出しの文言が目に入ると「ああ、編集者は記事の内容にはこれっぽっちも興味がないんだな」という印象を持たれかねません。
    もうちょっと文言にバリエーションがあればより興味を引けるんじゃないかと思います。

    • 確かに頭悪そうですよね。
      分かります。