「通勤地獄」を作ったのは誰か? 戦後の焼け野原からの「理想的な都市計画」が大失敗に終わるまで

1945年に日本は終戦を迎えました。その前から東京の「通勤ラッシュ」は限界に達していたため、国は復興とともにこれを解決しようと試みたのです。

「脱・通勤地獄」プランは終戦前から作られた

 東京都心の鉄道は、地下鉄を除けば昭和戦前期には概ね現在のネットワークが完成していました。大正時代、第1次世界大戦、関東大震災後の郊外化を背景に郊外私鉄が次々と開業し、沿線開発と人口増加が続きました。

 その結果、東京府(当時)の人口は、1920(大正9)年の約370万人から1930(昭和5)年には約541万人まで急増。戦時体制に入ると軍需景気でさらに人口集中が強まり、1940(昭和15)年には約735万人にまで達しました。鉄道各線は通勤客で大混雑し、日本初の「時差通勤」が行われたのも、実は戦時中のことです。

Large 20230524 01
1963年当時、混雑する新宿駅ホームと電車(画像:新宿区)。

 しかし戦争末期、東京への空襲が始まると都心は焼け野原となり、疎開や避難で人口が流出。終戦時、1945(昭和20)年には約349万人と半減していました。鉄道の被害も甚大で、特に1945年5月25日夜に行われた大空襲では、国鉄、私鉄線の駅や車両が多く焼失しました。

 そんな中、戦後を見据えた「帝都復興計画」の検討が、密かに始まっていました。

 越沢明『東京の都市計画』によると、内務省国土局計画課長の大橋武夫は1944(昭和19)年11月、大規模な本土空襲の開始を受けて戦災復興計画の必要を感じ、「戦争に勝っても負けても、日本国を復興させなくてはいけない」との考えから翌年春までに復興計画の骨子をまとめました。

 そして終戦直前の8月10日、降伏を事前に知った大橋は空襲に備えた防空計画の中止を命じ、復興計画に着手させています。こうして日本中が失意と安堵に包まれるなか、新たな都市計画は意気揚々と動き始めたのです。

 復興計画の骨子は次の通りです。東京は政治、経済、文化の中枢であるとした上で、過大都市の弊害を防止するため、工業地帯や教育機関を東京圏外に分散させ、都心への一極集中を防ぎます。都心の周辺には大規模な緑地帯を設け、風致を保存するとともに都市の野放図な拡大を食い止めようとしました。

 前述の通り、戦前の20年間で人口が爆発的に増加したことで、住宅地の不足、環境の悪化、交通機関の混雑など様々な問題が発生していました。そこで都心(23区)の人口は「300万人、最大でも500万人」に留め、それ以外は衛星都市、外郭都市に分散居住を図り、都心と各都市を鉄道や道路で接続するとしました。

【画像】1960年代の通勤風景はこうだった

【鉄道計画特集】新路線 新駅 連続立体交差事業 次に開業するのはどこ? 過去にあった「幻の新線計画」は?

最新記事

コメント

記事ランキング

  1. 家族が「SSSS航空券」を引き当ててしまった…! 乗る前から“異変” 保安検査員も「Oh…」 誰でも起こり得る“緊迫の一部始終”
  2. ロシア軍の爆撃機が「真っ逆さまに墜落」 地上に激突する瞬間を捉えた映像が公開 “巨大な黒煙”が立ち上る
  3. “まるで高速”な無料バイパス「全線4車線化」へ変貌開始! 一部の上下線分離まもなく 対面通行を解消 国道8号
  4. 飛行中の「日の丸特別機」に粋なサプライズ! 天皇皇后両陛下を“最新ステルス戦闘機”がお出迎え
  5. 「危なすぎる!」阪神高速“中の人”がブチギレ!? “衝撃動画”とともに呼びかける「ドライバーが守るべき3つのこと」とは
  1. 家族が「SSSS航空券」を引き当ててしまった…! 乗る前から“異変” 保安検査員も「Oh…」 誰でも起こり得る“緊迫の一部始終”
  2. あと1年足らずで「現金でバス乗れなくなります」 全路線“完全キャッシュレス化”疑問に応えるサイト開設 京王バス
  3. ETCの手前で「ガシャン!」高速入口に吊るされた「黄色い鎖」の正体は? 傷つく覚悟で“あえてぶつける”超アナログな理由
  4. ロシア軍の爆撃機が「真っ逆さまに墜落」 地上に激突する瞬間を捉えた映像が公開 “巨大な黒煙”が立ち上る
  5. 「“再有料化”でいいから4車線化して」→普通車280円になって1年 利用者負担で勝ち取った“効果”あきらかに 八木山バイパス