「戦争」とは呼ばない? アゼルバイジャンとアルメニアも「紛争」 言葉を選ぶもっともな理由
「戦争」には当たらないワケ
国際法上、伝統的に戦争とは「当事国による戦争意思の表明」をもって行われるもので、さらに一定のルールを守る必要はありますが、基本的には無制限の武力行使が許されています。究極的には、相手国を壊滅させることも不可能ではないわけです。
しかし、第2次世界大戦を経て、国際社会では戦争を含む一切の武力行使(軍事力の行使)が原則として禁止され、その例外として、
(1)他国から攻撃を受けた際の自衛権の行使
(2)国連安全保障理事会(安保理)決議に基づく集団安全保障措置
の場合のみ、武力行使が許容されているのです。
そして、これらはいずれも武力行使の目的などに照らして、その規模や期間などに関する限定が付されています。従って、無制限の武力行使が許容される戦争とは、その性質が全く異なるのです。
そのため現在の国際社会において、戦争という表現を当事国が用いることは、「自国が違法な武力行使を行っている」という主張をすることになってしまうため、避けられる傾向にあります。たとえば、ロシアによるウクライナ侵攻に際しても、当のロシア側はあくまで自国の行動の根拠を「自衛権の行使」に求めていますし、今回の軍事行動に際しても、アゼルバイジャンはあくまで「対テロ作戦」と主張していることは冒頭で説明したとおりです。
いずれにせよ、武力による現状変更は許容されるものではありません。仮に、当事国が「自衛権の行使」や「対テロ作戦」と主張したとしても、それが妥当であるかどうかは国際社会の中で客観的に判断されることになります。
【了】
Writer: 稲葉義泰(軍事ライター)
軍事ライター。現代兵器動向のほか、軍事・安全保障に関連する国内法・国際法研究も行う。修士号(国際法)を取得し、現在は博士課程に在籍中。小学生の頃は「鉄道好き」、特に「ブルートレイン好き」であったが、その後兵器の魅力にひかれて現在にいたる。著書に『ここまでできる自衛隊 国際法・憲法・自衛隊法ではこうなっている』(秀和システム)など。
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