じわじわ普及「赤バイ」誕生のきっかけは社長の閃き “バイク+消火器、いいじゃん!” でも60年かかったワケ
いまや全国各地の消防機関に配備が進んでいる「赤バイ」。その端緒となったのは60年前に鳥取市で生まれたアイデアでした。高度成長期、阪神淡路大震災などを経て普及に至った経緯を振り返ります。
「クイックアタッカー」の“ご先祖”は鳥取生まれ?
日本最大の消防組織である東京消防庁には多種多様な消防車が配備されています。そのなかで一風変わった車両が、消火器具と救助機材を積んだオフロードバイクではないでしょうか。
通称「クイックアタッカー」というこの2輪車は、高速道路や山間部など、一般的な消防車や救急車の進入が困難な場所に、すばやく駆けつけて活動をはじめるもので、そのカラーリングから「赤バイ」とも呼ばれています。
赤バイは、いまや全国の消防機関に配備されているものの、前出の東京消防庁を始め大規模な消防機関での運用が比較的よく知られていることから、それら都市部の消防組織で生まれ、全国に広まったと思いがちです。しかし、実は約60年前に鳥取県で生まれたものが元祖だというのをご存知でしょうか。
今から63年前の1960(昭和35)年、鳥取市消防本部に1台の真っ赤なバイクが寄贈されました。贈り主は鳥取市危険物保安協会。バイクはフロントに赤色灯とサイレン、リアに2本の粉末消火器を備えたホンダ「ドリーム」の250cc仕様でした。
それにしても密集地を抱える東京などではなく鳥取で、しかも民間からの寄贈で生まれたのはなぜでしょうか。そこには鳥取市が抱えていた、ある悩みがありました。
鳥取市は気象条件の影響で歴史的に火災が多く、1952(昭和27)年にも5000戸以上が全半焼する「鳥取大火」が起きています。たび重なる火災は経済的にも打撃をあたえ、鳥取ガス(現エネトピア)の社長で市の危険物保安協会会長でもあった(いずれも当時)児島恒吉氏は悩んでいました。
そうしたなか、児島氏はある席で「警察の四輪駆動車(ジープ)が自動車火災に遭遇したが、積んでいた消火器で簡単に消し止めた」というエピソードを耳にします。
ここから「消防車より機動力が高いバイクに消火器を積めば、初期消火に効果的かもしれない」とひらめいた児島氏は、さっそく実証実験に着手。そこで有効性を確認すると、賛同した企業の協力を得て、鳥取市に赤バイを寄贈するに至ったのです。
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